みすずかる信濃の国は
「小諸観光協会」さんから「大きな封筒」が届いた。
私は「小諸応援団」の団員だから、さて、観光パンフでも届いたかな?と開封して見ると、パンフと一緒に「CD」が入っていた。
「小諸 わが想い出 歌:由紀さおり」
…なんと「今をときめく」あの「由紀さおりさん」のCDだった。
収録曲は「小諸 わが想い出」の歌とカラオケ、それと「中山晋平」作曲(中山晋平は、長野県中野市出身)の「雨降りお月さん」の3曲。
「小諸わが想い出」の作詞は「永六輔さん」と「小林亜星さん」。
戦時中に小諸市に疎開されていた縁だという事だ。
…ちなみにお値段は「1200円」。
由紀さんのソプラノトーンは、癒されますぜ、ダンナ!…なんてね(笑)。
由紀さんのコレクターの方は、これはもう絶対GETしておかなきゃです!。
…はい、宣伝終了(汗)。
小諸観光協会の方、どうもありがとうございました!。
本題はここから(笑)。
さて「みすずかる」という言葉を、長野県を旅行しているとよく目にすることが多い。
「みすず」…うーん「みすず飴」は有名だし、私は好きなんですけど…不思議な響きですよね?。
人名でも「金子みすず」とか、地名でも長野県には「美鈴湖」という小さな湖がありますね。
気になったので、ちょっと調べてみますと…辞典などでは「水草」の「葦」とか「茅」とかを刈る、という意味で「水篶刈る」と漢記されるようです。
これは「信濃」を指す「枕詞」でもあります。
そういえば「すくらっぷ・ブック」でも「ノーミン」が葦(芦)を刈って「葦簀(よしず)」を作っていましたね(虎落笛:第30話)。
しかし実は「水篶刈る(みすずかる)」は「誤記」だったようで、実際は「水薦刈る(みこもかる)」が本当らしい。
…こうなってくると、刈っていたのは葦なのか茅なのか、はたまた「薦」だったのか、さっぱりわかりませんね。
しかしです…実はこの説だけでは無いのです。
そして「コチラのほうが」私的にはロマンチックであって、何か「そそられる」ところがあります。
葦や茅を「なぜ」古代の人は刈っていたんでしょうか?。
ノーミンのように「よしず」を「妖精館」のために作ってあげる目的でないのは確かでしょう。
「よしず」は冬の風物詩ではありますが、それだけでは「信濃の国」と結びつきません。
「みすずかる信濃の国」とは言い難いところがあります。
葦や茅というのは「水辺」に群生しているものです。
その根元に「鉄バクテリア」によって「褐色の酸化鉄の塊」が生成されることがあります。
これが「褐鉄鉱」です。
この「褐鉄鉱」が、鉱石から鉄を精製出来ない(火力の問題など)昔、鉄製の道具をつくるのに用いられたそうです。
この「褐鉄鉱の塊」を「すず」と言ったそうです。
接頭語の「御」をつけて「御すず」。
つまり「みすずかる」とは「鉄の材料になる物質を刈り取る」という意ではないか?と言うのです。
長野県には「海」という字が使われる地名が多いですが
(小海、海野など)
この「海」というのは、あのしょっぱい「海」ではなくて「大きな湖沼」を意味しました。
現在は存在していませんが、昔は火山活動などで出来た「堰止湖」が、長野県には複数存在し、そこから「海」の地名が出来たそうです。
ゆえに「葦や茅」が群生し、また「鉄イオン」が豊富な水が満々としていた湖があって、それで「褐鉄鉱」が採れた。
それを刈り取って、生成して鉄器を作っていた、という説です。
鉄、というと頭に浮かぶのは「朝鮮半島」からやってきた「渡来人」の存在です。
現在のように大半が東アジア系の人種ばかりではなく、おそらく白色人種である「ロシア系」の人々などもたくさんいたと思われます。
紅潮した顔や、クセの強い髪の毛、高い鼻などが「鬼」のモデルともなった、と言われていますが、彼らがもたらした「金属精製技術」が、時代を動かすことに加担していったわけです。
「信濃」は以前は「科野」と書かれ、それは「シナノキ」がたくさん生えていたからとか、山間を流れる川が「シナって(曲がって)」流れていたからだ、という説もありますが、漢字をそのまま信じるとするならば「科」は「罪」の意味を持ちます。
また「何々科」という意味合いから「分類」としての意もありそうです。
渡来人がどのような過程を経て日本に来たかは知りませんが、中には自国の戦禍を逃れるために、外国に身を寄せた人もいるでしょう。
当時の権力機構からすれば、彼らは「中心に置いてはいけない人たち」だと思えます。
「ハイテク」を持ちながらも、他国からの逃亡者でありますから「秘密に隠れて住んで欲しい」わけです。
長野県のように「山深い里」に彼らが集められ、管理されていたと推理しても不思議ではないでしょう。
ともあれ…ハッキリしたことは不明です。
そして「みすずかる」という「言葉の響き」は、不思議と山紫水明の地、長野県に良く似合います。
そして…キラキラとひかる湖面と、群生する葦の原と、そこに遊ぶ小鳥たちの姿…そんな「風景」が、わずかな五文字の中から現れるような気がする…そんな魅力を内包した言葉だとも思うのです。
歴史は歴史として面白いのですが、それとは別に「地域に密着した言葉」として愛されていく…それでいいのだと思います。
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