くそでもくらえ!
「機動戦士ガンダム」の名セリフ集みたいなのはTVの企画で時たま目にすることがあるが、もっと昔の
「宇宙戦艦ヤマト」とかの名セリフが、お茶の間に上がることは少ないみたいだ。
確かに「ヤマト」は「戦記モノ」の色合いが強い作品だし、どちらかというと「男性的視点」に基づいて描かれている節があるから、難しいところがあるのかもしれない。
前回「理想なんてくそくらえ!」と叫んだ自分のセリフを見ながら、昔ヤマトで見たシーンを思い出している。
…ガミラス星でデスラー総統率いるガミラス軍に勝利したあと、破壊の限りを尽くされた戦場を見て「古代進」が言ったセリフ…
「勝利か…くそでもくらえ!」
そういいながら、銃を艦下に投げ捨てるシーンが思い出される。
日露戦争の「乃木希典」将軍が詠んだとされる漢詩
「山川草木転(うたた)荒涼」
を思い起こさせるセリフだ。
「やられたらやりかえす!」「かかる火の粉は…」
というのが、戦争の「基本原理」としてあるとおもうが、その「結果」もしくは「顛末」が、お世辞にも「豊かなもの」であろうはずは無い。
それになによりも「どこかのエライさん」が掲げる「理想国家」とやらの「妄想」が、その他大勢の人間に「慟哭の波」を運んでくるということ。
「やられたら…」というようなことは「集団心理」を巧みについた「戯言」でしかない。
真実はいつでも「あとになって」わかるものなのだろうか?。
人は「進化してるようで進化してない生き物」なんだろう。
困ったことだが、そういうものであるらしい。
今朝TVで「中村ブン」さんの「母さんの下駄」という歌を聞いた。
随分と昔に聞いたような記憶がある曲だし、そのときの印象も強いものではなかったような気がする。
しかし、人として経験を積み、様々な出来事を経過してきた自分の中で、彼の曲は「同期」していたようだ。
感動的な場面だった。
「懐かしい曲」「泣ける曲」がクローズアップされているのを「現実逃避現象」と切り捨ててはいけないんじゃないだろうか?。
「近代文明」の行き止まりが、いよいよ「見え始めてきた」という中で、
「もう少し考えてみないか?」というメッセージングの一端として、こういう傾向が高まってきたんだ、と思う。
この「潮流」に、もっと目を向けてみたい気が今はしている。
肝心なのは「答え探し」が、そこから始まるかどうか?と言う「モーメント」の有無についてだ。
それがないと、ただの「ノスタルジィ」に過ぎず、あまり大きな意味を有することは無いだろう。
私も古代のように「くそでもくらえ!」と叫びながら生きていきたい。
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