本気かよ?
最近の大人は、考えが貧弱だね。
もう少しマシになるかと思ってたけど、昔と変らない。
どっちかといえば昔のほうが粋だった気がする
これなんだな、そう思わされたのは。
沖縄県は宜野湾署。
暴走族…そう例の「♪パラリロパラリラ↑」みたいな音を響かせて(今は違うのか?)公道を走り回るお兄さん、お姉さんたちのことだ。
もちろん、足で走り回ってるわけじゃない。
バイクなり、車なりなのだが、彼らが走ると確かにうるさい。
道交法無視も良くあるので、危険を感じた人も多かろう。
彼らの行動は「法治国家」としては見過ごしては置けないようなところも確かにある。
暴走行為は、なんだかんだいっても、その他一般人から見れば「不快行為」である。
警察も取締りをしないで、何やっとるか!と突き上げを食らうのだ。
そこで宜野湾署は考えた。
「イメージダウンを図って、彼ら立場を失墜させよう!」と。
…そも、その考え方がおかしいと思うのだけど、そう考えたのだ。
で、討論の末出た答えが「ダサイ族」。
?…「マサイ族」じゃないよ…「ダサイ族」!(爆)…なんちゅうか、宜野湾の方は人が好いのだろうなぁ、としみじみと思う。
他の候補に挙がったのが「よわむし族」「ゴキブリ族」だそうだ(笑)。
「よわむし族」は、人権問題にかかる部分が大きいと思うからなんだけど、「ゴキブリ族」っちゅうのも、凄いやね。
直球勝負そのものだ。
しかし、私はなんとなく「懐かしい」気分で今居る。
わが上州にはかの超有名な大組織だった「ブラック・エンペラー」の支部があった。
その他多くの「暴走族」グループがあって、あまり内情は知らないが、彼らは大変に「統率」されており、いわゆる「走り」に関しては、ただ無茶苦茶に走り回るのでなく、決まった「日にち」があったように思う。
彼らは私が見ても「明確な目的」があって、その上で「走り」を行っていたと思う。
「アイデンティティー」を重視した組織でなければ、大きな集団を統率など出来ない。
彼らはだから「哲学」を持っていたんだろうと思う。
大人社会には大人社会の哲学があって、青年には青年の「守るべきもの」があった。
それらが対となってぶつかり合いながら淘汰されて行ったり、いわゆる「卒業」みたいなことがあった。
これは彼らにとっては「ひとつの答え」なのであり、暴走という歯止めの無い行為への「疑問への回答」でもあったのだ。
それはある意味、さわやかな結論でもあったように思う。
いわゆるそういった「大規模暴走族」というものが無くなって、かえって暴走行為は「パーソナル」になり、そのことで「答え」は非常に遠いものとなってしまった。
誰に教えられるでもなく、暴走のスリルにだけ救いを求める青年たち。
体制と反体制は、ここにきて「合流点」を見失ってしまったのだ。
これは「どちらにとっても不幸」であり、そして暴走行為を行うもの=犯罪者、というレッテルが簡単に貼られるようになった。
なんとも無味乾燥なことだ。
宜野湾署が打ち出した「方策」は、必ずしも効果があるかどうかは疑問だし、体制が反体制を「狩る」という位置づけから外れているわけではない。
しかし彼ら暴走族に対して「犯罪者」という以外の「名前」をつけよう、というのが、私としては昔を思い出すようで懐かしいのだ。
正直「ダサイ族」はダサイのだが、この「心の奥から湧き出してくる」笑いのような、涙のようなものはなんだろうか?。
「まだ日本も捨てたもんじゃないな」と、どこか一方では思っていたりする私なのだ。
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