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2009年6月 9日 (火)

当たり前のことは、当たり前だと言おう!

全盲のピアニスト「辻井伸行」さんが、米国のバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。
同コンクールでの日本人の快挙は40年ぶりというから、これは「掛け値なし」の大快挙である。

ピアノコンクールには「障害の有無」というものは、実質上反映はされない。
これは「当たり前」のことだ。
純粋に技術と、表現力を試されるのが、こういったコンクールの意義なわけで、その舞台で優勝を勝ち取った辻井さんのピアノは世界に通用し、審査員の賞賛を受けたわけだ。
「このこと」は、色々な意味で「意義深い」ものを持っていると思う。

今朝見たテレビで、指揮者の「佐渡裕」さんが辻井さんの優勝に触れ、目を潤ませながらインタビューに答えているのを見た。
「涙の理由」を私は知りたかったのだが、それが単なる「感動の涙」ではなく、師が弟子注ぐ「喜びの涙」であることがわかり、私は嬉しかった。
優勝は「月日の実り」であることを知っている人の涙は信じられるし、綺麗だと思える。
そこには何の「濁り」も無いのだ。

全盲というのは確かにハンディかも知れない。
しかし彼は幼少時より非凡な才能を発揮し、そしてその才能を伸ばすために教えを受け続けてきたのだ。
その研鑽努力が花開いたのだから、これは「咲くべくして咲いた花」と素直な賛辞を送りたい。
障害がどうのこうの、というのではなく、持って生まれた才能が開花し、これからも素晴らしい演奏を聴衆に提供してくれるであろう、そのことが真に「素晴らしいこと」なのである。


辻井さんの「成功」は、才能を伸びやかに育んできた周囲の環境によるところが大きいはずだ。
そして、この国にはたくさんの「才能たち」が存在する。
しかし、障害を持ちながら「活動」を続けている人の中には「周囲の目」の屈曲した視線に晒される事で、本来の自分自身の「感性」をも自分で歪めてしまう、という例が数多く存在する。
「…障害を持つ人らしい、優しさを持った絵だ」
「…かわいらしいわね、優しいね」
などという、所謂健常者の「浅薄な思い込み」が、本来個人の「持ち物」である「感性」を、本人から奪ってしまうのである。
これは「障害を持つ人は社会的弱者である」という「見方」と、そして「現実」が生んだ「悲劇」といえるだろう。

「もっと結果を率直に評価して欲しい」のだ。
良いものは良い、駄目なものは駄目、と指摘し、厳しく優しく見守って欲しい。
腫れ物に触るように、当人たちと接することに何の意義があるというのだろう?。
同情の感涙に、何の明日があるというのだろう?。

障害の有無にかかわり無く、我々が見聞きしているものの「創り手」に対しての最大の評価は「嘘を言わない」ことではないのだろうか?。
辻井さんの演奏は素晴らしかった。
特に最終演目の「ハンガリー・ラプソディ」は、うねるような序半に並々ならぬ才能を感じた。
これからも「周囲の目」に押しつぶされないように、良い経験を積んで深みのある演奏をしていただきたい。
私はこれからも「当たり前は当たり前!」のポジションを崩さないことで、彼らの「小さな盾」になっていたい。

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