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2009年7月 4日 (土)

自分に「ドンマイ」?

「ドンマイ」…「Don't mind」の日本語的発音。
「気にするな」「大丈夫」というような意味で用いられる。

今朝のテレビで「何にドンマイか?」という題での「街角インタビュー」を放映していた。
すると、ほとんどの人が「自分に」と答えたという。
今の自分に向けて「ドンマイ」と言いたい、と。

まぁ「頑張れ」とか、そういう意味で「ドンマイ」と言いたいということなのだろうけど。
でも…自分で自分に向けて「頑張れ」っていうのは、私は「空元気」だと思う。
「頑張れ」も「ドンマイ」も「他人に言われて元気が出る言葉」だと思うから。


いろいろな意味で、生きることが大変な世の中だ。
「不況」というヤツが頭を押さえつけているみたいで、歩くのが嫌になるような日もある。
しかしそれで自分で自分に向けて「気にするなよ」ということに、どれだけの意味があるんだろう?。

自分で自分に言った言葉は、自分の中だけでしか完結しないんだ。
「頑張れ」…自分は、頑張れ。
「気にするな」…自分は、気にしないよ。
…そこに他人の存在、自分以外の存在に対する「まなざし」は無い。

「♪人は皆、孤独なランナー」とかいう歌がバブル期に流行ったけど、真実はそんなもんじゃない。
人は一人で生きてるわけじゃない。
それは人がこの世に生を受けてから、綿々と続く不変の法則でもある。
自分以外の他者(人間に限らない)から「力」を貰って、押されたり、引かれたりしながら人は生きている。

自分だけが生きているような気になって「孤独なランナー」を気取っているのじゃ、頭の中の「バブル」は取れてないってことだよね。
「ドンマイ」は、自分ではなくて他者に対して使う言葉。
他の誰かを動かすために、自分を削ってかける言葉だよ。

…じゃ、自分には何を言うか?って。
そうだなぁ…当面は「おまえはアホか?」とでも言うか。
自分で自分に向かって言う分には、本当には傷つきはしないんだから。

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2009年7月 8日 (水)

マイケルとシャネルズ

「彼」と初めて出会ったのは、スズキのスクーターのCMで。
当時「ブラック・ミュージック」という言葉も知らない自分だったけど、彼のダンスと独特の高音は非常に衝撃的だった。
やがて「MTV」の放映などが拍車をかけて、日本での彼の知名度は急速に上がって行った。
…彼の名前は「マイケル・ジャクソン」。
わずか50年と言う、短くも白熱した光を放ち続けた人生だった。

「彼ら」と初めて出会ったのは、パイオニアのラジカセのCM。
「♪ランナウェイ…とっても好きさ」と歌いだす彼らの顔は、日本語で歌っているのに皆「真っ黒」だった。
2つ年下の幼馴染の女の子に「あれはね「逃げ出す」って意味なんだよ?」とか、いい加減な知識で持って「訳」を教えたこともあったっけ。


マイケルはその比類なき才能で、全世界の人を魅了し続けたスターであり続けた。
一方で不可解で幼子のような行動を繰り返し、おそらくは整形したと思われる顔面の違和感など、マスコミのネタとしても、何度も取り上げられることになった。
シャネルズは、あの「ココ・シャネル社」からのクレームと思われる理由からか名前を変更し「RATS&STAR」となった。
メンバーの「個売り」も行い、ソロデビューやバラエティーの世界にも進出するが、メンバーの不祥事など、あまり嬉しくは無い話題もあった。

「尋常性白斑」…俗名「しろなまず」という病気がある。
免疫性疾患の一種で、皮膚の「メラノサイト:色素」を自己攻撃してしまう病気なのだが、斑状に皮膚が白くなっていく。
マイケルはこれに罹患して白化していった、というのが定説である。
難治性の病気で、原因もあまり確かではない。
「ステロイド治療」を行うので、副作用が大きいと思われる。
彼の後期の「透けるような肌」は、ステロイドの影響かもしれない。

シャネルズは「黒人ボーカル」の雰囲気を出すために「靴墨」を顔に塗っていたという。
「話題づくり」としての発案と思うが「そこまでするか?」というのが、当時の正直なところだったと思う。
しかしそれでも「ドゥ・ワップ」という音楽を日本に広めたという意義は大きいかもしれない。


「黒い肌」を持ち、黒人の文化の中で生きてきたスーパースターが、肌が白くなったことで揶揄される。
「黄色い肌」を持ち、日本をメイングランドに活動するグループが、顔を黒く塗って「黒人音楽」を演る。
…「文化」って、何なのでしょうね?。
肌の色が違っても、やりたいものはやりたいのだし、肌の色が「変わった」からといって、魂(ソウル)が失われるわけじゃない。

時々、人間は「どうでもいいこと」を面白がっていないといられないんじゃないか、と思うときがある。
他人の行動を批判したり、生き方の違いを指摘してみたり。
まぁ「小ネタ」としては面白いところもあるけど、政治家連中が「小ネタ」合戦してるようじゃ、さすがに国民だって呆れるよな。

まあ、いいさ。
昔、スクーターで見たマイケルのダンスも、シャネルズのCMも、記憶の中から簡単に消えるもんじゃない。
今の政治家たちの顔はすっきりと忘れてしまうのだろうがね。

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2009年7月10日 (金)

夏祭り

「花火大会の中止」が相次いでいるそうだ。
企業からの協賛金が集まらないのが一番の理由だそうだが「開催中止」は止めて欲しい。
地域住民の楽しみを奪うし、煙火店(花火屋さん)の死活問題に直結してくるから。

人間には「苦しくてもこれだけは!」というものは在ると思う。
個々人にも酒だの、タバコだの、というものはあるが、それは「コミューン」としても存在していて「祭り」と言うのはそのひとつなのだと思う。

現代人が「軽薄短小」の浮薄な生き方をしてきた中で「忘れてきたもの」がある。
目の前の「仕事」という雑事の中で、忘れてきたものは多い。
そのひとつが「連帯感」だ。
例えば「村」というものは、別に「その村の圏内に住んでいるから」村の人間、と言うわけではない。
どこからか「ふらっ」とやって来て、なんとなく住み着いた人間を最初からまわりが「村の人間」と認めないことでもそれは証明される。
「むら」というものは「文化」そして「歴史」というものから切り離すことは出来ない。
その地方独自の「臭い」を持っていない人間は「むらびと」では無い、という暗黙の了解が存在しているのだ。

そのことについてここで言及する気は無い。
ただ「むら」というものが「連帯」と無関係では存在できないものだ、ということは理解いただけると思う。
…で、その「連帯感」を確認するための「ビッグ・エベント」が「祭り」なのである。

むらびとの「心の依りしろ」たる神社。
その神社に集って「神輿」をあげる。
これは「神様」を奉るということと同時に、むらびとが
「仲良く過ごせておりますよ、争いごとは無いですよ」
という、神様への「誓い」でもあるのだ。
だから「祭り」というものは、お金が集まらないから止める、とかそういった類のものではありえない。
「行うことに意義がある」もので、それは「花火大会」も、あまり変わらないんじゃないか?と思う。

「隅田川花火大会」は、全国の花火大会の始祖とも言えるようなものであるが、時の将軍「徳川吉宗」が悪霊退散とコレラの発生を「払う」ために整備したものである。
「火の力」を「払い」に使うと言うわけだが、もちろん民衆の「精神的安定を図る」と言う意味や、幕府への信頼感を向上させると言う政治的目的も含まれている。

隅田川ほどではなくても、現在は観光振興、住民の娯楽などのために盛んに行われ、拡大してきた花火大会。
目的そのものは「純度」を失って、観光娯楽化されてきたとはいえ、その根底に根ざすものは
「闇の中の、一輪の火の華」であり、それはまさしく「心の闇を焼いてくれる火花」なのだ。
神様に神輿を奉げる事が、実は自らの心を鼓舞し、時に孤独に苛まれがちな日々の生活を顧みさせる「心の栄養剤」であるように、花火と言うものも「鬱屈した日々の澱」を払い去ってくれる、ありがたい「習慣」なのだ。

人は時に「純粋」を欲しがる。
純粋な出来事があるから、人はまだ人として居られるのだろう。
機械になりきれない!と叫んでいるような「若者」が増加している今だからこそ「祭り」は絶対に大事なことなのだ。

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2009年7月14日 (火)

個人通達的小諸案内(すくらっぷファン限定版)

すくらっぷファンの皆様…特に明日に小諸へ初めて旅立たれる方(笑)のための「小諸案内」です。
ただし、個人的なものですので「つまらんかった」と言われても私は知らないです(汗)。

1、懐古園
言わずもがな。すくらっぷファンの「聖地」です。
小諸駅前から陸橋(でいいのかな?)でダイレクトに懐古園前まで行けます。
「有料」です!。
これにビックリされる方が意外と多いと思います。
「え!ただじゃないの?」…晴ボンたちがひょいひょい入園してる雰囲気があるので、意外と思います。
大人個人500円です。
ただし「散策券」というものもありまして、こちらは300円。
園内の施設(動物園除く)に入らないならば、こちらがお得。
時間重視ならば、散策券だけでもいいと思います。
(AM8:30前ならば無料なはず…未確認)
城門を入り、入場ゲートを抜けると右側に上っていくと、例の「ばかもの~展望台」があります。
階段の手前には「ばけもの~」と声がしたという「石碑」があります。
展望台の手前が、みんなで「手つなぎ鬼」をした「馬場」です。
展望台を降りて右手に道を進みますと、小さな「茶屋」があります。
鬼ごっこの後一休みをしていた茶屋です。
そこで左折しますと動物園に入り、ふたたびゲートに戻ります。
これが外周ルートです。
詳しく見るときは石垣の上などにも登ることが出来ます。
園内には神社も奉られています。

2、芦(ノ)原中学
懐古園前の道に出て左折し、ひたすら歩くと道がいきなり広いバイパス状になります。
コンビニを越えて右側に学校が見えてきますが、それが芦原中学校です。
この辺りの雰囲気は、当時とは全く変わっていて、面影はありません。
ただ「梅林」の道があった名残として、梅ノ木が道の両側に植わっています。
みな、過去に生徒たちが育てた木です。
道の正面方向に天気がよければ「雪のエアポート」が見えます。

3、坂の上小学校
作品内の学校は、実際の芦原中学と雰囲気が違います。
特に正木先生が受験後の3-7の生徒を待っている場所は明らかに実際と異なります。
これはどうも「坂の上小学校」近辺を使っていると思われます。

4、北国街道 ほんまち町屋館
作品とは無関係ですが、店の奥に入りぬけると中庭に出ます。
そこから見る浅間山は「街が山の麓にあるんだ」と実感できる眺めです。

5、高峰高原
今回の限定版でも使われていました。
ここは車かバスで無いと行けません。
浅間山が間近に見えます…天気さえ良ければ小諸の街が遠望できます…が、他には何もありません。

6、桜井写真商会
「桜井光代」のモデルは、同名のご本人です。
作品と酷似している外観はそのままです。

7、小諸すみれ号
いわゆる「コミュターバス」です。
先生の描いたキャラクターが使われています。
http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1221004897329/index.html

8、小諸駅前観光案内所
「飛天魔軍」さんの作成されたハガキ
http://www3.wind.ne.jp/mononoke/oyamada/
が置かれています。
桜井写真商会さんにもあります。

えー、こんなところでしょうか?。
季節によっては、他にもあるのですが。
今の季節で言うとこんなところです。

では、良い旅を。


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2009年7月18日 (土)

暑さのせいさ

ここのところの猛暑で、体がすっかりまいっている感じがする。
館林市で37.7度だものね。
そのせいかどうかは知らないけど、脳細胞が焼け付いているようなやつが、最近とみに多くなった気がしてる。
特に20代と思しき若い人がほとんどだ。

「耐性」が付いてないんだろうね。
確かに今は「苦境」ではあるけれど、人生で一番働けるからだと、くるくると良く回る知能と、無理が利くスタミナを持ってるくせに…勿体無いな。
些細なことでカッとしてみたり、オッサンに喧嘩売って何か変わるとでも言うのかい?。
困ったもんだ。
「素直」ないい子を作り出しすぎたよ…この国は。
なまじっか「素直」に育っちゃったから、アクシデントに対して強かになれないんだよな。

物事にはみんな「うらおもて」がある。
だから苦境の時にはカードの「裏」をめくってみれば良い。
そこにちゃんと「答え」は書いてある。
何枚カードをもらっても、所詮ブタはブタさ。
ついてないときってそういうもの。
そんなときには「次」に切り替える勇気が必要。
そういう強かさを学校は教えちゃくれないんだよね。


浜田省吾の歌が、最近よく頭の中を流れてくる。
「八月の歌」…最後の「♪暑さのせいさ」と二度繰り返すサビが、頭の中をグルグル回っている。
こっちの脳細胞もいい加減焼けているみたいだ。
…しかし「ハマショー」の歌が妙に似合う時代になったな、と思う。
それも「J・BOY」とか、昔のやつね。

「真面目な人間の叫び」…底辺で自らの仕事を黙々とこなし、噴出しそうな欲望を女やバイクに託す…そんな世界が日常のそこかしこで展開している。
真面目から不真面目への展開もできず、出来ることといえば、強がりや悪ぶりのオンパレード。
ぎらぎらした目で周囲をにらめつけながら、懐にしまったナイフを握り締めている…そんな奴等がゴロゴロしている。
ハマショーの世界は所詮「歌」なのであり、しかも「労働者階級」のための慰み…明確な敵があり、批判対象がある上での世界なのであるが、可哀想であるかな、今の若者たちには「敵」は見えないし、反撃もできない…ただ「釈迦の掌」で悪態をついている孫悟空と同じなのだから困ったものだ。
「救い」はどこからも沸いて出てこない。
ただ「救い」にも似た「蜘蛛の糸」が天空からぶらぶらと下がってきているだけなのだ。

ああ…なんとも情けないやね。
私は「太宰を読んでる暇があるなら、土を耕せ!」って言いたいんだけどな。
血と汗と涙からしか「希望」は生まれない。
掌にできた豆が潰れて、そこから初めて「実感(わか)る」ものがあるはずだ。

「希望」は訪れるもんじゃない…いろいろなやり方で見つけていくもんだ。

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2009年7月28日 (火)

写真の世界

しかし、世間一般のイメージと実像が異なる商売はいろいろあるけど、写真家やカメラマン(ま、呼び方の違いに過ぎないんだが)ほど、実像と虚像が違う商売も珍しいだろうね。

「天才」アラーキーこと「荒木経惟」みたいに、コンパクトカメラで街を撮ったり、ねーちゃんやマダムの「お裸」を撮ったりして生活できれば良いなー!!って、思って写真家の道を目指して、もろくも脱落していく人のなんと多いことか!。
「あんな人たち」は、業界の数パーセントいやしないんですよね。
実際は「自分の専門分野の写真を撮って」生活のために違う写真…広告写真とか、グラフ誌とか…を撮る人がほとんど。
ファッション関係で撮ってる人が、専門分野で食っていってるだけじゃないかな?。
そうじゃないと、正直、本当に厳しい世界なんです。

それでも新しいカメラマンは必要とされてきました。
実際に雑誌は入れ替わり立ちかわり「創刊」と「廃刊」を繰り返しますし、そのたびにカメラマンも右往左往します。
新人が入ってきたり、ベテランが辞めたりして、人間の循環が行われますが、特別ハローワークに上るわけじゃなくて、専門誌か「コネ」でほぼかたがつきます。

昔は完全な「子弟制度」の元で、丁稚奉公みたいな生活をしながら、一人前を目指したようです。
今でもこんな徹底した子弟制度でデビューを目指そうとするのは「演歌歌手」か「相撲取り」くらいなものです。
おまけにこれは「資格取得」と言うものではないので「生活保障」など欠片もありません。
何らかの理由で脱落しても、保障は皆無なのです。
…ま、根性は人一倍つくかもしれませんが。


さように「写真のプロ」というのは、地味で、大変で、実入りが少ない「3K」商売なのです。
煌びやかに見えるのは本当に一部の人たちのみ。
私自身確かに「プロ」を夢見ていた時期もありましたが、情報が入るにつれ「嫌気」のほうが大きくなってしまいました。
何よりも「体育会系」的な風土は、私は肌に合わないというか、アレルギーなんですね。

ですので、私の「写真生活」は非常に緊張感の無い、たらけたものとなっております。
色々な被写体を撮影しますが、コンテストにはよう出しません。
他人の視線に曝され、評を受けること自体は嫌いじゃないんですが、出来れば「自分の世界」で受けるときは受けたいな、と。
将来的には個展(グループ展でも良いけど)か、写真集を刊行できれば良いな、と言うのが当面の目標ではあります。

写真生活はたらけていますが、作品そのものはたらけているとは思ってませんよ。
写真は「フレーム外に飛び出していく写真」というのと「フレーム内に圧縮される写真」というのがあります。
私のは「後者」です。
日常の中で現れる「事象」…感動したり、ハッとしたりする「ことがら」を、瞬間的に切り取っていくのが私のスタイルです。
いわゆる「スナップ」ですね。
風景の中に自身を反映させますが、あくまでも「光景」そのものを曲げることはせず、フレームの中で「整えながら」押し込んでいく、という感じです。
あくまでも「感じ」なので、これこうです、と説明は出来ませんが…ま、これをしないと「芸術」とは少し違っちゃってる感じもしますので。

私の写真もおいおいここで紹介していくつもりですが、今日はこのへんで。

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2009年7月30日 (木)

少年漫画は大丈夫なのか?

「週刊コミックバンチ」紙上で掲載されている
「描線の流儀」というコーナーがお気に入りだ。
ベテランの漫画家さんへのインタビューを文にまとめたものだが、当時の状況や、作品がどのような経過で書かれてきたか、などのことが語られ、興味は尽きない。

中でも妙に印象的だったのが「本宮ひろし」さんの文章の一節で
「最近の漫画家は女の子のパンツの線一本書いて喜んでいるような奴が多い」
という一文。
はあ?-、そんなもんかいねぇ?と思いながら読んではいたが「少年チャンピオン30号」を買って、暇なときに読み返してみると、その「状況」というのが顕著なのがわかった。

少年漫画誌というのは、それぞれに特色があって色合いが違うのはあるけれども
「ロリ、バイオレンス、パチモン、パクリ、スケベ」が、そこかしこに見られて、あれから何週間も経っているのにも関わらず、全ての作品を「見られない」状況になっている。
「見たくないから、見ない」作品が多いと言うことだ。

昔はそんなことありえなかった。
自分が大人になったと言う部分もあるけど、どうにも鼻につく残虐シーンとか、そういうものは理性が許してくれないのだ。
おまけに「絵が下手」というのもある。
線が単純で、ペン入れに力が無い、と言う感じが、私のような素人にさえわかってしまうのだ。
技術が駄目、構想が貧弱、なのである。
おまけに「ロリ」である…ま、これは好みだから良いけどさ(爆)。


どうしてこんな状況になってしまったんだろうか。
私が思っているのは「子供時代の環境」である。
子供時代に「夢」とか「冒険」とか、そういった「未知への探求」をやってこなかった人たちが、ただ漫画が好き、と言う理由だけで漫画家になる。
あるいは「ロリっこが好き」と言うだけの奴もたくさんいるんだろうな(笑)。

編集者も同じだ。
最近の編集者は、打ち合わせをあまり作者ととらないのだそうだ。
「三人よれば文殊の知恵」というが、2人以上が関わらない漫画作りは、やはり面白いものを生まないんじゃないだろうか?。
「個性の過大評価」は、最近の学校教育の「最大の過ち」と思ってきたけれど、それはやはりこんなところでも影を落とすものらしい。
コストの問題もあるだろう。
人件費を削減したいのは編集局も同じことだろうし、使える経費も削減されているのだろう。
なににせよ「こんなもんでいいんじゃないの?」という雰囲気が、紙上にいつも流れている気がする。


コミックバンチに掲載されている「少年リーダム」は、次原隆二先生が描かれている、いわば「タイアップ的な」作品だ。
昔の少年誌(おそらくは少年ジャンプ)の新人編集者を通して「どのように漫画が作られてきたのか」を切り出して見せている。
「実話」と思しきエピソードがいくつも展開され、大変興味深く読ませていただいている。

新人編集者の青年と、ベテラン漫画家の間に「心の交流」が次第に生まれてくる。
それは昔、ほかの普通の会社でもあった「新たなエネルギーによる、社内の浄化」と共通している気がする。
「無垢な力」というものを、きちんと受け止め育成していく土台があって「力」は初めて方向性を見出せるのだし、まっすぐに進んでいけるのだろう。
これは現在の社会そのものがそうなのだろうと思うけど、創り手側も、受け取る側にも「矜持」というものが全く無いのだと思う。
「批判」を「攻撃」とごちゃ混ぜにして、見てみぬ振りをするような相手に、どんな言葉がかけられようか?。
今、少年誌は「パンツの線一本」のように、あやかな存在の上で成り立っているのだ。
…実体の無い、二次元の世界の上でね。

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2009年7月31日 (金)

ありがとう、米谷さん!

米谷美久さんが亡くなられた
享年76才。

米谷さんと言えば、オリンパス光学株式会社(現オリンパス)で、独創的かつショッキングな一眼レフ「OMシリーズ」を開発設計された人だ。
また、ハーフサイズ一眼レフ「オリンパス ペンF」や、カプセル型コンパクトカメラの元祖といわれた「XAシリーズ」なども手がけられている。

米谷さんの生み出したカメラは、全てが「独創的」というにふさわしいものだった。
「OMシリーズ」は、一眼レフを「重い・ごつい・でかい」という束縛から解放した最初のカメラだった。
しかも「小さかろう、悪かろう」ではない、操作上の「不便さ」というものを全く感じさせないという点で秀でていた。

「ペンF」もこれまた独創的な機構を持っていて「ロータリーシャッター」という、半円形の円盤が回転することでシャッターを開閉するという仕組みで、その利点として「全速フラッシュ同調」(注)という離れ業と「ペンタプリズム」という、あの一眼レフ特有の「三角形」を取り去り、平らな上面部を形成することも可能にした。

「XAシリーズ」は、非常にスタイリッシュな卵形のボディと「レンズキャップ不要」という「バリア方式」を採用し、時の話題をさらった。
81年には通産省の「グッドデザイン賞」に「XA2」が選定されている。


私が中学時代に恋焦がれていたカメラ…それが「OM-1」だった。
その小さくて精緻なボディは、当時の私には「高嶺の花」の値段ではあったが、学習雑誌の「宣伝ページ」を見ながら「いつかはこの手にするんだ!」という「青い昂ぶり」は、私の胸を強く突き動かしていた。

小さなボディに比して、これもまた小さいながらもはっきりとした「自己主張」の強いデザインを持つアクセサリー群。
「50mmF1.2」という、標準レンズで最高の明るさを持つレンズをつけると、際立ってレンズの緑色のコーティングが映えて、それはまるで「エメラルド」のように見えた。
今の「デジタル一眼」とは比べ物にならないくらいに大きく見えるファインダーは、シネ・スクリーンを最前列で見るような迫力にあふれていた。
そして静かなシャッター音…シャッター幕に「絹」を使ったからなのだろうか、その音と感触はエレガントであり、それはちょうど「良く出来た弦楽器」のように、撮影者を陶酔させるものだった。


「アイデンティティー」というものに、若者は強くこだわるもの。
この「微妙なバランス」を有しながらも、アンバランスさを主張するカメラは「J・ディーン」のような「青春のシンボル」のオーラを放ち続けていた。
数々のカメラが、このカメラ大国日本から生み出されてきたはずだが、私は「OM」以上に若者に愛され、愛撫されてきたカメラを知らない。

私がOMを初めて手にすることが出来たのは、OMに憧れ続けていた中学時代から数えて十数年後のことになる。
当時もまだOMは現役であったが、残念ながら「中古」以外は手にする余裕が無く、初めて手に入れたOMは、かなりくたびれ、酷使されてきたものだった。
ゆえに故障も多くて嫌気がさした私は、そのOMを捨て、ペンタックスの小型一眼を求めた。
…思えば、もうその時には、中学時代に感じていた「純粋な憧れ」は褪めていて、私は一人の青年として、ほろ苦い時間を過ごしていた。
当時の私には、OMの持つ「アイデンティティー」は、ただ苦しいだけの「青春の、むせ返るような匂い」だったのかもしれない。
それでも「ペンF」も「XA」も一時は所有していた。
しかしいつのまにかそれらは「銀色の玉」に化けて虚空の中に消えてゆき、今の手元には壊れている「OM20」という普及機が残るだけである。


米谷さんの訃報にあたって、今またもう一度「OMをこの手に!」という気持ちが湧き上がっているのを感じる。
しかし…デジタルが席巻する今の写真界の中で、もう一度フィルム機を持ち、撮影行がどれくらい行えるのか?と考えると、急速にその欲望も萎んでしまう。
もう、私は額に汗しながら、学生カバンを揺らして走りながら通学していた少年ではないのだ。
想い出は胸の中に大事にしておけば良いのかも…と、これを書きながら思う。
さよなら、思い出…そしてありがとう米谷さん…。


(注)当時の通常の一眼レフのフラッシュ使用速度限界は「1/60秒以下」だった。
ペンFは全速同調が可能なので、最高速の「1/500秒」までフラッシュが使用できた。
この特長を生かした撮影も、特にプロの間では貴重がられたという。

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