米谷美久さんが亡くなられた
享年76才。
米谷さんと言えば、オリンパス光学株式会社(現オリンパス)で、独創的かつショッキングな一眼レフ「OMシリーズ」を開発設計された人だ。
また、ハーフサイズ一眼レフ「オリンパス ペンF」や、カプセル型コンパクトカメラの元祖といわれた「XAシリーズ」なども手がけられている。
米谷さんの生み出したカメラは、全てが「独創的」というにふさわしいものだった。
「OMシリーズ」は、一眼レフを「重い・ごつい・でかい」という束縛から解放した最初のカメラだった。
しかも「小さかろう、悪かろう」ではない、操作上の「不便さ」というものを全く感じさせないという点で秀でていた。
「ペンF」もこれまた独創的な機構を持っていて「ロータリーシャッター」という、半円形の円盤が回転することでシャッターを開閉するという仕組みで、その利点として「全速フラッシュ同調」(注)という離れ業と「ペンタプリズム」という、あの一眼レフ特有の「三角形」を取り去り、平らな上面部を形成することも可能にした。
「XAシリーズ」は、非常にスタイリッシュな卵形のボディと「レンズキャップ不要」という「バリア方式」を採用し、時の話題をさらった。
81年には通産省の「グッドデザイン賞」に「XA2」が選定されている。
私が中学時代に恋焦がれていたカメラ…それが「OM-1」だった。
その小さくて精緻なボディは、当時の私には「高嶺の花」の値段ではあったが、学習雑誌の「宣伝ページ」を見ながら「いつかはこの手にするんだ!」という「青い昂ぶり」は、私の胸を強く突き動かしていた。
小さなボディに比して、これもまた小さいながらもはっきりとした「自己主張」の強いデザインを持つアクセサリー群。
「50mmF1.2」という、標準レンズで最高の明るさを持つレンズをつけると、際立ってレンズの緑色のコーティングが映えて、それはまるで「エメラルド」のように見えた。
今の「デジタル一眼」とは比べ物にならないくらいに大きく見えるファインダーは、シネ・スクリーンを最前列で見るような迫力にあふれていた。
そして静かなシャッター音…シャッター幕に「絹」を使ったからなのだろうか、その音と感触はエレガントであり、それはちょうど「良く出来た弦楽器」のように、撮影者を陶酔させるものだった。
「アイデンティティー」というものに、若者は強くこだわるもの。
この「微妙なバランス」を有しながらも、アンバランスさを主張するカメラは「J・ディーン」のような「青春のシンボル」のオーラを放ち続けていた。
数々のカメラが、このカメラ大国日本から生み出されてきたはずだが、私は「OM」以上に若者に愛され、愛撫されてきたカメラを知らない。
私がOMを初めて手にすることが出来たのは、OMに憧れ続けていた中学時代から数えて十数年後のことになる。
当時もまだOMは現役であったが、残念ながら「中古」以外は手にする余裕が無く、初めて手に入れたOMは、かなりくたびれ、酷使されてきたものだった。
ゆえに故障も多くて嫌気がさした私は、そのOMを捨て、ペンタックスの小型一眼を求めた。
…思えば、もうその時には、中学時代に感じていた「純粋な憧れ」は褪めていて、私は一人の青年として、ほろ苦い時間を過ごしていた。
当時の私には、OMの持つ「アイデンティティー」は、ただ苦しいだけの「青春の、むせ返るような匂い」だったのかもしれない。
それでも「ペンF」も「XA」も一時は所有していた。
しかしいつのまにかそれらは「銀色の玉」に化けて虚空の中に消えてゆき、今の手元には壊れている「OM20」という普及機が残るだけである。
米谷さんの訃報にあたって、今またもう一度「OMをこの手に!」という気持ちが湧き上がっているのを感じる。
しかし…デジタルが席巻する今の写真界の中で、もう一度フィルム機を持ち、撮影行がどれくらい行えるのか?と考えると、急速にその欲望も萎んでしまう。
もう、私は額に汗しながら、学生カバンを揺らして走りながら通学していた少年ではないのだ。
想い出は胸の中に大事にしておけば良いのかも…と、これを書きながら思う。
さよなら、思い出…そしてありがとう米谷さん…。
(注)当時の通常の一眼レフのフラッシュ使用速度限界は「1/60秒以下」だった。
ペンFは全速同調が可能なので、最高速の「1/500秒」までフラッシュが使用できた。
この特長を生かした撮影も、特にプロの間では貴重がられたという。
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