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2010年6月 4日 (金)

「九月の雨」 太田裕美

「松本隆・筒美京平」というゴールデン・コンビが、最も光り輝いて見えるのは「太田裕美」という歌手が、此の世に存在するからだ、と私は信じている。

その中でも出色なのが「九月の雨」だ。
九月の雨 太田裕美 歌詞情報 - goo 音楽

詞の内容そのものは、特に目立つところも無い、有体な男女の恋の話に過ぎない。
恋の終末の風景が描かれ、女は彼との電話の肩ごしに「見知らぬ女」の笑い声を聞く。
…残酷で、愚かで、純粋な女の行動…それは「彼女」というポジションを今まで疑うこともしなかった女にとって「青天の霹靂」だったのかもしれない。

「九月の雨は冷たくて」
本当に何気ない言葉だが、この短い一文の中には「いろいろなもの」が内包されている。
「梅雨」のことを「五月雨」というが、秋に降る雨のことを「秋雨」と書き「あきさめ」、もしくは「しゅうう」と読む。
「驟雨」は、激しく降る雨のことだが、ここで言うところの「秋雨」は「冷たい雨」という意味だ。

夏という季節を、燃え上がるような「盛り」の時期とするならば、秋はその「盛り」が、終息していく時間だ。
これを恋愛に例えるのなら「恋の最後期」ということになる。
「季節に褪せない心があれば」と、女はフロント・ウインドウのワイパーに残る、雨の筋を凝視しながら想う。
そぼ降る雨をかき消せないように、自分の中に残る「男の匂い」を苛立たしく思う。

自分の中にある「別れ」という確実な予感。
電話口の女の嘲るような笑いに心が波立ち、確かめたいと彼の家に急ぐ自分がいる。
…しかし、そこにはきっと「辿り着けない」という「予期」もある。

女は途中で車を降りるのだろう。
歌詞にはないが、女は傘もささずに、ひとり濡れそぼり歩く。
「愛が昨日を消していくなら」…愛の終わりは残酷であるが、ひとつの「終わり」というものは、決して「過去へと戻ること」などではない。
秋の雨は、冬を越すために木々が結実し、種を落とすために必要な「恵みの雨」でもある。
水分を吸った土が柔らかく変化し、種が地中に埋没し、乾燥してしまわないための「準備」でもある。
…それは人の愛でも同じこと。
秋の雨は心を柔らかくし、愛の「証」を身の中に埋めてくれるのだから。


松本は作中で「しあわせ」という言葉を「倖福」とあてている。
通常は「幸福」なのだが、この場合は「にんべん」がある「倖」を使っている。
つまり「人の幸せ」というものは…と、暗に語りたいのかもしれない。
また、この部分で急激に盛り上がった後、平穏へと帰る「クレッシェンド」は、女の「情感」を現しているのと同時に、詞の補填を行っているのではないか?と考えている。

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