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2010年8月17日 (火)

卒業の詞「卒業」 斉藤由貴

松田聖子の「制服」でもそうだが、松本作品で描かれる「卒業していく女性」は、皆強い。
卒業 斉藤由貴 歌詞情報 - goo 音楽

作詞:松本隆 作曲:筒美京平

この斉藤由貴の「卒業」でも、主人公の女性は「卒業式で泣くのは、本当じゃない」と、もっと辛い悲しみが訪れるだろう瞬間を待っている。

「待つ」ということは、ただ心待ちに、切なく待っているばかりではない。
結果的に、それが自分にとっては残酷な一瞬になろうとも、ただ「待つこと」でそれに耐えていける女性もいる。
男性にはおよびもつかないような「深い悲しみへの対処の仕方」というものを、女性は持っているのだ。

それに比して、歌中の「男の子」は、自分の「青春の証」というものを伝えようとするかのように、机にイニシャルなどを掘って遊んでいる。
男の子らしい行動といえばそうだが、何処の誰かが見るかもしれず、そいつがそれを手中の刃物で削りとってしまう事など考えもせず、ひたすらな行為を続ける男を、少女はただ虚ろな眼差しで見やっているしかない。
「二人の思い出」というものを、そんな安っぽい行為に転嫁して欲しくない…純粋な少女の想いなど「ガキ」な男の子には想像の他でしか無い。

松田聖子の「制服」と、斉藤由貴の「卒業」。
テーマのよく似た2曲だが、より「女心」に強くアプローチしているのは、この「卒業」のほうだ。
聖子ちゃんの「明るさ」や「未来」。
由貴ちゃんの「暗さ」と「過去」。
同じ女心を語っていながら、この2曲は主人公の少女の「性格」がまるで違う。
それは「歌い手のキャラクター設定」とかぶるところがあり、聖子だからこういこう、由貴にはこれでいきたい、という、販売戦略もかかっているのではないだろうか。


斉藤由貴を初めてテレビのCFで見た時のことは、鮮明に覚えている。
明星食品のカップラーメンのCMだったが「…なんか、らしくないぞ」というのが、ファースト・インプレッションだった。
この「らしくない」というのは「アイドルらしくない」だったり「芸能人らしくない」という意味あいだ。

ポニーテールで、どこか暗さがあって、今までのアイドルの持つ「快活さ」というものを一切感じなかった。
確かに可愛かったのだけど、むしろ「違和感」のほうが強すぎて、なんとなく座りが悪い気分になった。
この件のCMは、歌詞の刺激的なところと(胸さわぎ:中崎英也)、斉藤の「普通の少女」のイメージが重なりあい、それは「背徳」というものを、いつも身内に隠して興奮している、思春期の男の子の「幻想」というものを良く描き出していた。
つまり「CMの意図」や、購買層には極めて合致していたわけで、実際にこのカップラーメンはよく売れていた。
…私も何度か買って食べた!…エヘヘヘ(笑)。
買うときになぜか恥ずかしい思いがしたのを、今でもよく覚えている。
それくらいに「印象が強い」CMだったといえるだろう。

「卒業」は、彼女のデビュー曲で、それがなんと大ヒットしてしまうわけだから、彼女の資質の「底」というものがいかに深いかわかろうというものだ。
そして、この曲を作った「松本・筒美」のゴールデン・タッグは、この結果に溜飲を下げたに違いない。
「卒業ソング」は数々作られてきたが、この曲がトップ20に選択されないようなことは、これからもきっと無いことだろう。

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