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2017年9月21日 (木)

私はなぜに「すくらっぷ」を愛したか(後編)

嘘か誠か確かめる術もありませんけど…たがみ先生の「Twitter」の記事で
「小山田いくは、友達が一人もいなかった」
…というのを見ました。
正直なところ、これは「眉唾」で「いかな兄弟とはいえ、交友関係を完全に把握してるんだろか?」というのは疑問なところです。
流石に「それはないでしょ?」とは思いますし、思いたいところです。

しかし、私も一時期は「学友など一人もいない」という時期がありました。
それどころじゃなく「いじめ」に遭っていて、毎日悲惨だった時期もあります。
…でも、というか「だからこそ」友情を夢も見るし、夢見るからこそ、今(当時)の状態を変えられるなら!と希求したりもするわけです。

高校時代もそうでした。
私にはほとんど、友達がいなかったんですね。
今までは、地元のよしみということもあり、また、私の中学時代後半は、それまでの人生で一番「はっちゃけて」いた頃ですから、そのギャップにはさすがに参っていました。
そんな時、私は「すくらっぷ」に出会います。
1月の駅の売店で買ってもらった一冊の週刊漫画雑誌。
そこに掲載されていたのが「12月の唯」だったんです。

私はずっと、それこそ紙が黄色く変色してもなお、それを保管し続けました。
(実はいまだに手元にあるんですよ)
それほどの執念を「巻き起こす力」が、確かに「すくらっぷ」にはあったんです。
しかしそれが「いったい何だった」のか、その理由については長らくわからないままだったのです。

もしも…小山田先生に実際に「友達がいなかった」として。
そして「想像で友情物語を作り上げていた」として…果たしてそのことで「誰が」先生を非難するでしょうか?。
「嘘を書いたんだ!」と、そう糾弾するでしょうか?。
…私は「そういう人は、あまりいないんじゃないかな?」と思うんです。
ほとんどの方が「そうなのかもね?」と納得してしまうんじゃないか?。

…そうです。
実は「そこ」にこそ「すくらっぷ」の「秘密」がある。
「ぶるうピーター」もそうだし「ウッド・ノート」もそう。
「想像と、現実とのハイブリッド」が、小山田学園作品の「秘密」なんです!。

私が「12月の唯」を見たときに感じたのは「リアリティー」と「ファンタジー」でした。
学園物のラブコメを描くとき、通常はその二つは「融和」される形で描かれます。
「味が喧嘩しないように」何らかの形で「仕切り」を組みます。
そうしないと物語が「あまりに突飛すぎて」鼻白んでしまうからです。
「12月の唯」には「それ」が無かった。
全くもってリアルの中学時代と、そして「ラブ・ファンタジー」の要素を容器に入れて「さあどうぞ!」と出された感じです。
味は「初めから」融和しない…口の中で溶け合って初めて「ああ、美味しい」と改めて思うのです。

リアルのようで、実はリアルじゃない。
「ファンタジー」だからこそ、それが「リアル」じゃないことを認識すると同時に「こんな生活があればなぁ」と夢想もできる。
…現実に、こっ酷い目にあわされてきた私は「現実じゃないけど、現実のようなもの」を、飢えるように求めていたのです。
冬の駅の売店で買った一冊の雑誌は、私の人生さえも変えるほどに蠱惑的だったのです。
「どっぐ・いやあ」の最終話で、先生は漫画家としての一歩を踏み出したことを「実感」するわけですが…それはある意味、先生が迷いの末にたどり着いたであろう「行く先」の入り口だったでしょう。
もしかしたら、違う土地で、同じように「少年チャンピオン」を買っていたかもしれない、私と先生。
私は先生の作品で、どん底から引き上げられ、先生はそんなことはつゆ知らずとも、自分が歩むべき「道」を確立した。
「シンクロニシティ」という現象がありますが、私と先生、そして沢山の「読者」の方は、きっとその瞬間に立ち会い、その風に晒されてきたのだと思います。

過酷な現実に対して応えられるのは、過酷な今を生き抜いている人じゃありません。
それは「夢を売る人」なのです。
たとえそれが想像上のことであってもかまわない。
現実にそぐわないことであってもいい。
そして「それができるメディア」として「漫画」というものは優れているのです。
小山田いくという人は「それ」を行う上で、類稀な特質を持った人だった。
「すくらっぷ」は、その代表作とも言えるものであり、歴史上類を見ることのない「作品」だったのです。

私は今年で53歳になりました。
何だかあっという間とも思いますし、早いな、とも感じます。
その中の多くの時間を「すくらっぷ」とともに生きてきました。
そのことが、時にはリアルでの障害となったりした面もありますが…おそらく「スクラップに会わなければ」それ以上に悲惨な人生になっていたかもしれないとも思います。
実際、私は18歳の時に大病をし、10年近くの闘病生活を送り、そのことで体も心もズタズタになりそうでしたが…「すくらっぷ」の「仮想現実」がクッションとなって、精神の瓦解を防いでくれていたのだな、と、後になって気付きました。
包み込むように「ファンタジー」は優しかった。
そのことで私は救われたのです。

思えば、なんと大きな「運命の輪」でしょうか?。
これはもう「奇跡」といって差し支えないものかもしれません。
時に、すくらっぷと出会ったことは間違いだったんじゃないか?…これは時間の浪費なのじゃないか?と思うこともありましたけど…それはきっと「ただの杞憂」でしかなかったんですね。
私は「受け取れるものを、受け取った」だけでした。
「それ」はただ、とても大きなもので、受け取った時には全容が見えないものだったんですけど。
今はそれが見えるようになった…ということです。

先生が亡くなった後、小諸の先生の所縁の場所を訪ねて歩きました。
当時は気付かなかったんですが…今思い浮かべると、先生のことを話す方々の顔は、どこか困ったような、それでいて懐かしさを感じているような、そんな表情ばかりだったと思います。
先生の存在は、所縁の方々にも、とても深い「感傷」を残していたんじゃないかな?と思います。
…私もどこか、そんな表情をしているかな?と鏡を見ながら思ってみたりします。

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コメント

小山田先生とたがみ先生が「車の両輪」であるのは、まさに同意見です。
僕としては、「性」の描写に、お二人の方向性の違いというか、コインの表と裏的なものを感じています。
僕も「すくらっぷ・ブック」が最高傑作だと感じておりまして、それが何故だろうかと考えた場合、やはりファンタジーとしては中学生が限界なのかな・・・ということでした。
小山田先生のその後の作品も大好きなのですが、やはり高校以上の話は「性」の問題を抜きにはできず、その描写はあまり小山田先生は得意ではなかったように思うのです。
その点は、たがみ先生は抜群に上手い。
両先生のファンが重なっていることが多いことも頷けます。

>萌旅調査官さん

そうなんです。
「理想の中学校生活」には、性の存在は欠かせない。
「リアルではない、夢想の産物」だからこそ、性がファンタジーになる。
「軽シン」とか「うるふ」とかは「現実の性の追求」で、リアル感抜きでは成り立たないけど(ある意味、小説的なもの)「すくらっぷ」は、あくまでも「ファンタジー」だから「現実の模倣」である方が、逆に世界が豊かだったりする。

「欠片の記憶」が世に出たことで、謎だった部分が次々と明確化して、同時に作品群の世界観も拡がってくるのは、ある種快感ですね。

るみくす様、
ご無沙汰しております。
訳あって身分は明かしておりませんが、萌え旅調査官様とるみくす様とは他でもご一緒させて頂いており、お二人の先生への想いとその考察にはいつも感服しております。「記憶の切片」を読んで私も同じ思いを持ちました。いく先生とたがみ先生、お二人は同じ経験を基にしたコインの表と裏、車の両輪なのだと。
私もたがみ先生のツイートは拝見しましたが、いく先生の周りの方も少し知るようになった身として非常に複雑な思いです。もしかしたらそれを掘り下げる事で先生が作品に託した本当の想いが理解できるのかもしれません。

> Kei さん

おはようございます。
コメントありがとうございます。

小山田先生の生い立ちについては、たがみ先生の「欠片の記憶」で初めて明らかになったというところがありますね。
実は私も愚弟が居りまして、男二人きょうだいなのです。
なので「なんとなく反目しあう仲」みたいな感情の流れ方はわかる気がするのですね。
ちなみに私は上ですけど「アホ兄貴」をそれでも立ててくれるのは感謝の限りです。

たがみ先生の、小山田先生に対しての言葉には、時々辛辣なモノもありますけど…同じ業種で、近所に住んでいて、分かち難い柵が多い間柄だということを考慮すると「これもある種の愛情表現なのかな?」と思えるときもあります。
子供時代のことを考えると、場合によっては一生犬猿の仲であってもおかしくはない状態にもなりかねなかったんじゃないかとも思えるのですが、それでも「漫画を描くこと」という共通点、そしてそれが生涯の仕事になるまで昇華していったことを思うと、他人にはわかりえない感情というものがあるのだろう、と想像ができます。

お二人の作品は、その「ジャンル」こそ異なれ、根底には必ず「血」というものが流れている気がします。
晴ボンや3-7の級友たちも「軽シン」の耕平や純生たちも、日々「見えない血」を流しだしながら、毎日を送っているかのようです。
命を燃やして生きているのです。
そしてそれはきっと、お二人の「生き様」そのものなのだと思います。

小山田先生には生涯ただ一度だけお会いしたことがあります。
物静かな方でしたが、本当に深さ、優しさを感じさせる方でした。
そのあまりの懸命さに、居たたまれなくなるほどに。
ひたむきさ、というものが、多くの方の胸を打ったのかもしれませんね。

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