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2018年8月15日 (水)

終戦記念日に寄せて(We Didn't Start the Fire)

ビリー・ジョエルのヒット曲「ハートにファイア」(We Didn't Start the Fire)

邦題としては随分と適当なものがあてられている。
どっかのコーヒーの宣伝みたいだ(苦笑)。
しかし原題の「We Didn't Start the Fire」からもわかるように、この歌は単なるラブソングなんかじゃない。
1949年から1980年代までの、その年における大きな出来事がチョイスされ、並べられている。

詞だけ見ると、近代史の年表みたいだ。
…だが、
「火をつけたのは、俺たちじゃないんだぜ」そして「燃え立たせたのは俺たちだけど、それに抗おうともしてるんだ」という相反する言葉が何度も繰り返されることで、それがただの「歴史の授業の時間」ではない、ということが理解る。

今日は「終戦記念日」だ。

…過去の出来事に対して、いつも必要なことがある。
それは「事実を正確に判断すること」だ。
なまじ浮かれてはいけない。
舞い上がってもいけない。
事実は正確に…そして、その反省を後世に伝えていかねばいけないのだ。

ただ、ひたすら繰り返す。
「祈念」というのは、そういうものだ。
何万遍も読経を行うように、ただひたすら声にし、祈ることだ。

戦争とは、人間の業なのかもしれない。
しかしだからといって、過去の反省ができないほど、愚かな存在でもあるまい。
「反省」というのは、文字通り「省みること」だから、その時には「自欲」というものは一切捨てねばならない。
それがたとえ、戦争で若い命を散らした人への「思慕」であったにせよ、その「行為」に対して「欲」を持ってはいけない。
浪漫的に流されてはいけない、情を差し挿んではいけないのだ。

特攻、という、凡そ勝ち目のない戦を、若い命に強いた事実を、忘れてはいけない。
もし、あの時代に「冷静さ」というものが機能しえたなら、そのことでどれだけの人命が救えたかということを考えるならば、その「非道」を賛美出来はしないはずだ。
原子爆弾によって瞬時に消えた命は、ごく少数の「誰か」の手によってなされたという事実を忘れてはいけない。
数万人以上の慟哭を受け止めるのには、その「誰か」の存在はあまりに小さすぎる。

忘れてはいけない。

「始まりの火」を着けたのは、ごく一部の人間たちでしかない。
それを煽り、消さぬようにすることで大きくしたのは、しかし「私たち」だったのではないか。
そして「そのこと」を無かったかのように誤魔化しながら、そして生涯を終えていくのも、かくあらん「私たち」ではないか、と。

今も火は消えてはいない。

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