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2018年10月

2018年10月17日 (水)

地方アイドルと、その自殺について思うこと

最近「地方アイドルの方の自殺」を巡っての話が出てきているので、少し見解を書いておきたい。

私は何よりもこういった場合に嫌なのは
「死んで花実が咲くものか」とか「死んだら負けだ」とか、を未だに語る人がいるということ。
ある有名な芸人さんが、これに類したことをSNS上で発言しているけれど…もう少し思慮が欲しいな、というのが正直なところ。

このブログで何度も何度も繰り返し書いているけれど「岡田有希子さん」のケースを、もう一度思い出してほしい。
彼女の自殺の原因は、未だ持ってわからない。
…いや、そもそもだが
「自殺した人の理由なんて、他人には絶対にわからない」
…ことに違いないのだ。
遺書はあるらしいけど、遺書と本心が異なる可能性だってある。
それは決して珍しいことじゃないと思う。

私は「生きるための必要な条件」の一つとして
「地に足がちゃんとついていること」というのが大事だと思っている。
これは仕事が円滑であるとか、裕福であるとかということではない。
もしそうであるならば、ユッコは死ななかったはずだ。
彼女が死んでしまったのは、経済的な理由なのではなく、また「自ら志した道」を閉ざされたということでもない。

もう、事件を知らない人もいるだろうから少し解説しておくが…彼女は当時、非常に人気が高いアイドルだったことは言うまでもない。
同じ事務所から「これから売り出していこう」としたアイドル(実際にかなり売れた方だった)の存在はあったが、それによって自らの「場所」が消えてなくなるということは無かったはずだ。
確かに、彼女のような、ある意味「癖のある」タイプのアイドルを長く援助していくことは難しかろうと思うが…それでも「やれるだけやる」ということを出来ないほどに、愚かな人ではなかったと思う。
売り方にもよるけれど、彼女はちゃんと「着地点」を自ら見つけ出せただろう才女であり、非常に努力家でもあった。
それも自発的にそれが出来た、という意味で、彼女はある意味、アイドルという垣根を越えていけた人でもあったのだ。
実際に彼女が描いた絵画とかを見ていただくなり(特にレッスンは受けていないのですよ?)、デビュー時から最後に至るまでの歌声の変化を感じていただけば、彼女が努力で自分の道を切り開こうとしていたのは瞭然だと思うのです。
…彼女は「誰に言われるまでもなく、自己努力を欠かさない人」でした。

才能として、才覚として…彼女はいつでも「オンリー・ワン」な人でした。
ただしそれが必ずしも「大人の世界」で認められるか?となると、話は俄然変わってきます。
大人の世界…この場合は芸能の世界では「事務所の方針」とか意向とかいうものが、本人の意思を飛び越えて存在します。
今でこそ、グループアイドルの場合は「それ」に関しては寛容であり、大人と子供たち(アイドル本人)が相互の意見を戦わせ、話が進んでいくようですが…当時は必ずしもそうではなかったようです。
「本人の感性」というものが、必ずしも活動に合致していくとは限らない…彼女の在籍していた事務所はそれでも、アイドルに関しては寛容だったとは聞いていますが…大人たちと彼女の間に入った「溝」というものは、大人たちが思う以上に大きかったのではないか?と、想像ができます。

彼女はたぶん…一人きりで戦ってきたのだと思うのです。
そしてその理由や、それに伴う悩みというものは、周囲の「大人たち」には理解が難しい、彼女独自の感性からのものだったのではないかと思います。
彼女自身が持っていた、アイドルとしての理想。
そのためにどう行動すべきか?ということを、彼女は自らの内側で育て続け、そしてそれを具体的に表現した時、ファンの方の温かい支持に包まれていた。
それが「成功体験」として息づき、彼女を歩ませていたのではないかと思うのです。

しかし「大人たち」に見えてくるのは、彼女が見ていた世界とは別のものです。
噛み合わない感情は、彼女に大きなフラストレーションを与えたでしょう。
そして…多分ですけど、大人たちは「大人の手段」を彼女に使ったはずです。
事務所の意向として…という、当然かつ束縛的な手段を彼女に強いた。
もちろん「そういうのが仕事でしょ?」というのは簡単です…が、彼女は「自分で自分を動かす術」と、その能力を常人以上に発動可能な「才女」であることを、周囲は欠落させていたのではないか。
…才女だからこそ、プライドだって高いのです。
そこに「プライドなんていらんだろ?」となれば…それは才能があるが脆弱でもあっただろう彼女のような人にとっては「死刑宣告」のように聞こえたのではないでしょうか?。

後輩の出現が、影ながら影響を与えていたというのもあり得る話です。
後輩の彼女は快活なキャラとして売られ、世間もそのように扱っても来ました。
彼女亡き後、その傾向は右肩上がりに高まっていったようなイメージがあります。
…彼女…岡田有希子亡き後、事件を忘れようともがくかのように。


事件の直前、彼女は「ひとりぐらし」を希望していたようです。
そして、物件を探している最中の仮住まいのマンションで、彼女は「ガス自殺」を企てています。
リストカットも行っていて、その傷は軽微でしたが、マンションの住民からの通報で消防なども来て大きな騒ぎになったそうです。
そしてその後…一旦事務所のビルに社員の方に付き添われていき、彼女からほんの少し目が離れたその隙に、彼女はビルの屋上へと駆け出し、障害物を乗り越えながら、身を投げたのです。
言うまでもなく、即死でした。

…いろいろな説があります。
原因が囁かれています。
私のこの文も、実際にはただの推測でしかない。

…しかし「もし自分が彼女だったなら」と考えるとき、自分が世話になっている事務所であると同時に「自分を否定していると感じている」場所に連れてこられたなら、どう思えるでしょうか?。
恥ずかしい、顔向けができない、と感じるとともに「もうダメだ」「もう何もできないんだ」とも思うでしょう。
たくさんの人たちの顔が脳裏を巡るでしょう。
ファンの姿もあれば、家族の姿、知己の人の姿もあるでしょう。
まるで走馬灯のように、それがぐるぐると回転し、止まらなくなるでしょう。

家族の反対を押し切って、納得させるための努力をし、そして乗り越えてきた。
その「結果」が、こうして恥ずかしい姿を晒すことになってしまうとは。
「強い情熱」は、それが破れたときに「強い破壊願望」になるものです。
「自殺」というのは、死ぬことで一切を無にする、リセットするという行為であり、願望です。
…彼女は元々身体機能も優れていた人ですが、その時には「誰も追いつけなかった」くらいの速度で、階段を駆け上がっているのです。
そして、屋上には当然柵もありましたし、また、大きな文字の形をしたディスプレイもあったそうですが、その「隙間」を「よじるように」潜り抜け、そして身を投げている。
私はそこに「強すぎる破壊衝動」を見ます。
彼女の自己破壊願望は、本当に究極に高まっていたのだと思うのです。


…彼女が「好きなように生きていけば」こういったことは無かったのではないかと思います。
地に足をつけて生きていくということは、自分が願うもの、進むべきと思えるものを「見つけ出していく作業」です。
一度や二度失敗したとしても、まるで構わない。
だって「いつだって途中」なのだから、失敗はその過程でのことなのだから、それでいいのです。

負けたっていい。
上手くいかなかった、ダメだった、としても、泣いて忘れられるのであればそれがいいんです。

…今回の「事件」では、大人たちの「勝手」が浮き彫りになっていると思います。
16歳の「子供」なのです…アイドルとして自立する、というような「夢」の世界を追っているだけの。
この先いくらでも何かを求めて、そして挫折をして、泣くこともあるだろう…そういう若い「芽」を摘んだのは、大人たちの穢れた手なのです!。

経験を積んだ大人であるからこそ、自らの苦い体験をもち、若い人の道を整備して歩くのが大人の務めじゃないですか?。
あれはどうだ、これならどうだ?と、進路を勝手に決め、自身や会社の「保身」を優先して行動するのが、果たして大人の生きる道ですか!?。
…そんな「みっともない」生き方を、場所を、若い人に曝していいのですか?。


勝った負けたじゃないんです。
子供にはいつだって「中間」を提供してあげてください。
迷う時間をあげてください。
そのうちに汚らしくなっていく大人になってしまう前にね。

2018年10月 8日 (月)

故郷は

電子ブック化で、小山田先生や作品群のコメントがSNSで増加してきている。
喜ばしいことだ。

私を始め、先生の作品に救われたとか、行き先を示してもらったとかの方もいらっしゃると思うけど…そこまでではない方、発表当時数年は関わっていたけど、遠ざかっていた方が再び、先生の作品を見直されている、というのは、私的にはかなり不思議だったりもしている。
ここ数年は、大袈裟に言えば「神懸かり」というか「奇跡」を見ているようで、キツネにつままれているようで、おかしな気分がしている。

先生が急逝されたというのが切っ掛けになっているのは、疑いなく事実なのだろう。
しかし「ここまで」の反応があるとは思わなかったというのも確か。
「小山田いくの世界」というものは、知識を通り越し、記憶の深層にまで穿つ威力があったのだ!と思うと、それもほのかに誇らしかったりする。


だからこそというか、この際だからもう少し「アクティブに」動いてもいいのかな?と思ったりする。
今までの活動として「ファンの集い」とか「コミケでの作品制作・販売」というものもあった。
もちろんそれらの活動は素晴らしく、参加こそしなかったけど(私はそういうのが苦手なんで:汗)正直うれしかった。
…ただ、今の私にとって、先生と、その作品は「過去」になりつつある。
忘れていくというのではなくて、目的地に向かって線路が分かれていくように、どこかで「ポイント」が切り換えられたんだと思う。

今年も小諸にはあまり行かなかった。
いけない理由もかなり多かったのだけど…なぜか足が前に出ない気分になっていた。
頭では想っているのに、足が「竦む」のだ。
そしてその後に、不思議と気分が落ち込んでしまう。
この気持ちは何だろう?。

「故郷は遠きにありて思うもの」という「室生犀星」の詩が浮かぶ。
犀星の故郷は金沢だが、私にとっての「心の故郷」というのは小諸だろう。
今までに百何十回は訪れただろう場所…少しばかりの差異はあれど、その空気感は昔と変わってはいない。
しかしなぜか「何か」が違う、という疑いが晴れない。
先生が亡くなったことで「暗雲」が生まれたのだろうか?。
小諸を想うとき、なぜか心に雨が降る。

アクティブには動きたい気がする。
その「アイディア」というのも、実はあったりする。
実現の可能性も低くはないと思っているし、拡張性もかなりある…ある意味ちょっとした「核弾頭」なんじゃない?って自画自賛してたりする。

やってみたい気持ちはある。
ただ、足が動かない。
心は先に進もうとするのだが、足が悴むようで動かない。

多分「I miss you」なのだ。
自分では否定してきたつもりだけれど、きっとまだショックから抜け切れていないのだ。

どういった偶然なのか、私はここ数年で「自分に大きな影響を与えてきた人たち」を次々失くしている。
それもみなほぼ同年代で、私よりも10年ほど先輩の方たちばかりだ。
その中には私の近親者も含まれている。

良くしてもらった人や、逆に私が尽くして来た人もいるが、関わりが深い人ばかりだ。
その中に先生の存在も入っている。
たった一度、邂逅しただけとはいえ、その数分間「だけ」であっても、私にはまるで「スポンジが水を吸う」ように、たくさんの情報が入ってきていた。
…お身体の調子が良くないであろうこと、元々スリムな方だったけど、猶更に痩せていらしたこと。
私のくだらない質問に答えようと、長考をしていたこと。
まるで大切な何かを探し当てるかのように…その様があまりに悲しくて、席を立ってしまったこと。
その姿を見るに、私の中にまるで堰を切ったように「時間」という奴が雪崩れ込んできたのだ。

その時の「重さ」というものが、今でも忘れられない。
「すくらっぷ」に出会ってから、もう三十有余年が経過した。
その「年月」の重さ、というものが、私の中でズッシリと重い。
それを振り返るとき、私に真摯にしてくれた人の眼差しを感じ、また、あまり満たされたとはいえないであろう人のことを想い、重ね合わせてしまう。
様々な感傷が、私の背中に重なり合って、呻いているようだ。

そういった過去から別れたい、決別をつけたいという思いがある。
ポイントはもう切り替わっている。
あとは今、並行に走っている「線路」を見送るだけだ。
その「切っ掛け」たらんとするなら…と、そんな気分でもある。


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