すくらっぷ・ブック

2019年4月 4日 (木)

万葉集と、すくらっぷ

「ココログ」全面リニューアルした、というので、記事書くかな?と。

 

もうすぐに「改元」になる、ということで、次の元号は「令和」となるらしい。
まあ、良し悪しはここでは置いておくとして、元号のヒントは「万葉集」からとのことなので、すこし万葉集について触れてみたいと思う。

 

私のブログのテ-マのうちの一つは「すくらっぷ・ブック」なので、まずは作中に用いられている万葉集を紹介してみましょう。

 

「君が行く道の長手(ながて)を繰り畳(たた)ね焼き滅ぼさむ天の火もがも」

 

…あなたが行ってしまう(この場合は流刑の旅)長い道のりを繰り畳んで、焼き滅ぼしてしまう天の火があればいいのに、という意味です。
進学のために、理美ちゃんがイチノ君と離れ離れになってしまうことを憂いて、万葉集の一首に心を託すというくだりですね。
とても「すくらっぷ」の特徴が色濃く出てる回で、普通ならばサメザメと泣くなりして…で、そのうちに忘れてしまうだろうということなのですが、ここでは昔の歌など引用して「キャラたちが、どう考えていたのか?」ということを立体的に見せようと配慮しているようです。
…もっともこのあとに「かがり」ちゃんが「男らしく(汗)」登場して、彼女を張り倒すという(!!)荒業で、急に「少女マンガ」から「少年マンガ」へと返っていくのではありますが。
そして彼を見送る彼女が「自分の志し」を見せたラスト・シーン…「故郷を離るる歌」を、自らのオカリナで吹き送り出していく、という流れへと連なっていきます。

 

最初「道(未来)を焼き滅ぼしてしまう」というシーンから始まって、最後には「旅立ちへのエールを送る」ということで終わる流れというのは「自らが強く望む欲というもの」を「他者にギフトしていくことで昇華させていく」行為への変遷であり、それがつまり「成長」なのだ、ということを、小山田先生は描いていたのだと思います。

 

 

 

 

 

2019年3月 6日 (水)

…いけるかな?

今更ながら、というか「すくらっぷ・ブック」の中で「まだ行けていない場所」というのがあることを思い出した。

ひとつが「フロストフラワー・ポエトリー」の場所。
「小山田いく先生」による「小諸紹介の絵葉書」によると「石峠」という場所が、冬期になると「霧氷」が出来るらしい。
観光写真などを参考にすると、浅間山の南側の裾野あたり、真っ白に霧氷ができている。
これが果たして、珍しい現象なのか、または割と見られるものなのか?というのはわからない。
石峠地区のあたりは、何度か通過したことがあるが、確かに落葉松の林が存在していた。
「あれ」が霧氷で白く輝くのだろうか?。

しかし何分、条件が厳しい。
当然車で行くことになるが…霧氷は日が昇れば溶け出してしまうもの。
現地には夜暗いうちには着かねばならず、走行も含めて少し恐い。
見たいとは思っているが…果たしてその機会は有るや無しや。

もうひとつが「浅間山に上る光」だ。
実は、夜に小諸にいたことというのは、2~3度ほどしかない。
それも例えば懐古園での夜桜撮影とか、他のことに時間を食ってしまっているので、疲れてしまって場所を真剣に探そうという気力が残っていないことが多かった。
「これからあの碓氷峠を下って帰るのか」と思うだけで、ゲンナリしてしまう。
夜間撮影というのは、案外と体力を消耗するものなので(重い三脚、重い一眼レフ…)これにプラス運転、というのは、次ぐ日が休みでもあまりしたくないものだ。

しかし、これからの人生の時間を考えていくに、もし小諸に移住するのであれば別だけど、そうでないとしたならば「行けるうちには行くべきだろう」というのも事実。
元祖聖地ツアラーの一人としては(…そんな意識は無かったけど)出来れば完遂はしたい。

まあ「フロスト…」はともかくとして、浅間山への光の光景というのは、拝みに行きたい。
もちろん三脚と、一眼レフを持って。
…でも、場所がイマイチわからない。
R18まで上がってしまうと、行き過ぎだろうか?。
それとも「平林の交差点」あたりなのだろうか?…ローカスには夜のシーンが多かったけど。

GW中にでも行こうかな?。

2018年11月22日 (木)

時の色に染まるということ

小山田作品の電子ブック化が進んでいて、その影響でツイートも賑やかになってきた。
まずは良いことだ。

しかし、私自身はまだ、電子ブックを買って読んだことはない。
お金の問題もあるけれど、それ以上に妙な「引っ掛かり」みたいなものを覚えてしまうからだ。

リアルタイムじゃないから、というのは一つある。
それは書籍でも同じことなのだが…本は時間経過とともに黄ばんできたり、その時間を表す「モノ」が何かしらある。
黄ばんだページをめくり、どこか饐(す)えた臭いを感じながらならば
「ああ、時代が移ろったのだなぁ」と妙な納得感も得られたりするのだ。
しかしこれが「電子」だと、余白はまさしく「余白」であり「諧調256の存在」でしかない。
混じりけなしの「白」でしかないから、まるで蒸留水を飲むがごとく味気ないのだ。

そこには「時間」が存在しない。
その上に、インクで描かれた線が、今度は「諧調0」の存在で再現されている。
擦れてもいないし、薄くもなっていないのだ。

「これは本じゃない!」
…いつもそう思う。
だから私は、電子ブックを避けてしまうのだろうと思う。

時間によって染まった本は、私の人生経過とともに年老いた存在だ。
時に煙草の煙に燻されたり、時に子供の手垢で汚れたりした。
私の持っている作品の中の数冊には、ネットカフェで使用されていた痕跡まで残っている。
そういう存在だからこそ「今更読める」のだ…と、いうのは、少し斜に構えすぎだろうか?。

理由はもう一つある。

私の中では「すくらっぷ・ブック」が「最初で最後の愛すべき存在」なのだ。
作家「小山田いく」の作品中での最高傑作という意味などでは無い。
「すくらっぷ」は「私の人生にリンクした存在」なのであって、他の作品とは意味合いが違う、ということなのだ。
だから手元に単行本全冊とオンデマンド本が揃っているということもあり、私はそれでかなり満足してしまっているということになるのだ。

「すくらっぷ」は、文字通り、私の人生にリンクした存在だ。
同じ時間軸の中で、先生が執筆した作品を見、その世界に自分を投影してきた。
それは「好きな漫画」という次元ではなく、自分が「生きていく」なかで頼ってきたという程の存在であり、ある意味「人間以上に人らしい」という程、彼ら(キャラ)の存在は大きかったのだ。

だから最終話「これからは君たちの手で!」という言葉に激しく落胆をし、見捨てられたような気分にもなった。
「いや、まだ続くじゃないか!?…だって…」…私はまだ、生きてるんだよ?と。
…そうやって切っていくのか、と思ってしまった時、私の中で「小諸に行くこと」というのは、強い願望になっていったのだ。
そこから「小諸詣」が始まり、そして次期作「ぶるうピーター」への反発も始まってしまったのだ。

実際…「ぶるう」の世界は、現実感が希薄だったと思う。
何だかんだでしかし「ぶるう」を読んではいた私だったが、それは「すくらっぷ」の時とは大きく異なり、どこか習慣的なものであった。
それ故に、私はもう、ストーリをほぼ思い出せなくなってしまっている。
おそらくは自分の中で「認めたくない」という気分が強く残留していて、記憶を阻害していたのだと思う。

先に書いた「電子書籍で見たくない」というものと「ぶるう」への反発心とがあって、私は電子書籍を買ってはいない。
もちろんそれは特殊な例であるし、大勢の方に再び小山田作品に触れる機会が訪れたことは、本当に喜ばしく思っている。
私はまだ、どこかで過去の記憶を引きずっているのかもしれない。

2018年10月 8日 (月)

故郷は

電子ブック化で、小山田先生や作品群のコメントがSNSで増加してきている。
喜ばしいことだ。

私を始め、先生の作品に救われたとか、行き先を示してもらったとかの方もいらっしゃると思うけど…そこまでではない方、発表当時数年は関わっていたけど、遠ざかっていた方が再び、先生の作品を見直されている、というのは、私的にはかなり不思議だったりもしている。
ここ数年は、大袈裟に言えば「神懸かり」というか「奇跡」を見ているようで、キツネにつままれているようで、おかしな気分がしている。

先生が急逝されたというのが切っ掛けになっているのは、疑いなく事実なのだろう。
しかし「ここまで」の反応があるとは思わなかったというのも確か。
「小山田いくの世界」というものは、知識を通り越し、記憶の深層にまで穿つ威力があったのだ!と思うと、それもほのかに誇らしかったりする。


だからこそというか、この際だからもう少し「アクティブに」動いてもいいのかな?と思ったりする。
今までの活動として「ファンの集い」とか「コミケでの作品制作・販売」というものもあった。
もちろんそれらの活動は素晴らしく、参加こそしなかったけど(私はそういうのが苦手なんで:汗)正直うれしかった。
…ただ、今の私にとって、先生と、その作品は「過去」になりつつある。
忘れていくというのではなくて、目的地に向かって線路が分かれていくように、どこかで「ポイント」が切り換えられたんだと思う。

今年も小諸にはあまり行かなかった。
いけない理由もかなり多かったのだけど…なぜか足が前に出ない気分になっていた。
頭では想っているのに、足が「竦む」のだ。
そしてその後に、不思議と気分が落ち込んでしまう。
この気持ちは何だろう?。

「故郷は遠きにありて思うもの」という「室生犀星」の詩が浮かぶ。
犀星の故郷は金沢だが、私にとっての「心の故郷」というのは小諸だろう。
今までに百何十回は訪れただろう場所…少しばかりの差異はあれど、その空気感は昔と変わってはいない。
しかしなぜか「何か」が違う、という疑いが晴れない。
先生が亡くなったことで「暗雲」が生まれたのだろうか?。
小諸を想うとき、なぜか心に雨が降る。

アクティブには動きたい気がする。
その「アイディア」というのも、実はあったりする。
実現の可能性も低くはないと思っているし、拡張性もかなりある…ある意味ちょっとした「核弾頭」なんじゃない?って自画自賛してたりする。

やってみたい気持ちはある。
ただ、足が動かない。
心は先に進もうとするのだが、足が悴むようで動かない。

多分「I miss you」なのだ。
自分では否定してきたつもりだけれど、きっとまだショックから抜け切れていないのだ。

どういった偶然なのか、私はここ数年で「自分に大きな影響を与えてきた人たち」を次々失くしている。
それもみなほぼ同年代で、私よりも10年ほど先輩の方たちばかりだ。
その中には私の近親者も含まれている。

良くしてもらった人や、逆に私が尽くして来た人もいるが、関わりが深い人ばかりだ。
その中に先生の存在も入っている。
たった一度、邂逅しただけとはいえ、その数分間「だけ」であっても、私にはまるで「スポンジが水を吸う」ように、たくさんの情報が入ってきていた。
…お身体の調子が良くないであろうこと、元々スリムな方だったけど、猶更に痩せていらしたこと。
私のくだらない質問に答えようと、長考をしていたこと。
まるで大切な何かを探し当てるかのように…その様があまりに悲しくて、席を立ってしまったこと。
その姿を見るに、私の中にまるで堰を切ったように「時間」という奴が雪崩れ込んできたのだ。

その時の「重さ」というものが、今でも忘れられない。
「すくらっぷ」に出会ってから、もう三十有余年が経過した。
その「年月」の重さ、というものが、私の中でズッシリと重い。
それを振り返るとき、私に真摯にしてくれた人の眼差しを感じ、また、あまり満たされたとはいえないであろう人のことを想い、重ね合わせてしまう。
様々な感傷が、私の背中に重なり合って、呻いているようだ。

そういった過去から別れたい、決別をつけたいという思いがある。
ポイントはもう切り替わっている。
あとは今、並行に走っている「線路」を見送るだけだ。
その「切っ掛け」たらんとするなら…と、そんな気分でもある。


2018年3月23日 (金)

ありがとう、さようなら!

あれから2年が経とうとしています。

…自分の中では目立った心の動きというものは無いのですが…何かにつけ、時折考えることはあります。
特に自分がリアルタイムで先生に関わっていた…作品に触れていた頃のことを想います。

なぜ「すくらっぷ」に夢中だったのか?という「自問」については、もうあらかた解決済みになっています。
「すくらっぷ」は、当時の私にとっては「クッション」みたいなもので、通常であるならば時間と比例するようになされていく「心の成長」というものが、中二の時期にいきなり活性化したのち、受験と高校入学を経ていく中で、逆に急激に萎んでしまう、という「乱高下の歴史」というものがまずはあって、その後の「就職」そして「大病」と「退社」という大きな変動に襲われました。
「激動の十代中半~二十代中半」といったところでしょうか?。
他にもさまざまに大きな出来事があり、その度に愕然し、乱流に巻き込まれる私でした。

そんな中「すくらっぷ」が果たした役割は大きなものがあったのです。
「過去に戻ること」「現実から離れること」は、実は精神的なダメージを強く受けた人にとっては「薬」のように大事なものです。
今でも多くの「学校不登校児」(私はこの言葉が嫌いですが)がいます。
彼らにとり一番良くないことの一つが「学校に行け!」という「励まし・叱咤」です。
頑張ればとか、努力とかという「激励」も、学校から彼らを遠ざける結果につながります。
だからこそ「ただウツウツと考え、外部の接触を断ち、昼夜関係ない生活を送る」ことは、彼らにとっての「生活の揺りかご」であり、大事なことなのです。

激動の時間を過ごす羽目になった私にも「揺りかご」は必要でした。
「すくらっぷ」は、そして「小諸」は、私にとって「揺りかごそのもの」だったのです。
作中の「すくらっぷ」の世界観だけではない、実際に「行ける場所」が存在するということが、私にとってはどれだけ安楽となりえたでしょうか?。

「すくらっぷ」そして「小諸」と出会えたこと、そしてそのきっかけをくれたのが「小山田いく先生」だった。
それはとても自省的なことではあったけど…後になり先生が故郷に帰ってきた理由に「病気」があったこと、それゆえに不安定な気持ちの中で、おそらくは思い出されたであろう「昔のこと」が、作品のエッセンスとなっていたことを知り
「出会いというものの不思議さ」「つながっていくことの不思議さ」を実感させられたのです。

正直に告白してしまえば「すくらっぷ」の世界に埋もれてしまっている自分を恥じたことは何度もありました。
情けなく思ったこともありました。
しかし、それも今になってしまえば「あの時にそれは必要だった」という結論で締めくくることができます。

そしてまた、今になって「小諸」を来訪してみるならば、この場所は「私にとって住みやすそうな場所かもしれない」ということに気付かされます。
現実的に移住が可能かどうかは未知数ですが「それもいいかな?」とは思います。
浅間山から流れるように降りてくる風とか、真夏の日中はやはり暑いけど、夕暮れ時にスッ、と涼しくなるとか。
激しく降る雨とか、カチカチに凍るような朝とか…人がたくさん住む場所ながら、自然がダイナミックなところが、私の感性にピタリとくるのです。

「すくらっぷ」の世界観が、私にとって必須では無くなっても、私は変わらず「この場所」に還ってきます。
まだまだ知らないところも多いし、無論嫌な部分もあるとは思うのですが、それはそれ、どこでも一緒です。
…先生がくれたのは、単に作品だけではありませんでした。
私に「居場所」を用意してくれたのです。
今は本当に時折訪れるのが精一杯ですが、そのうちにはいつかは移住も含め、長期滞在が可能になればいいなぁ、と夢想しています。

私にとり、やはり「すくらっぷ」は大きな存在でした。
先生とはもう少し、ちゃんと話をすればよかったかな?というのが、心残りの一つではありますけど。

2年がたち、ようやくなんだか、ありがとうと「さよなら」が言えそうな気がします。
先生、ありがとう!そして、さようなら!!。

2018年2月 3日 (土)

冬の小諸に行こうよ!

「あ!雪解雫だ!!」

木曜日の夜からの雪は、思いのほか積もった。
前回ほどじゃなかったけど、最近の冬では珍しい。
溶けた雪が屋根からいくつも滴り落ち、リズムを刻んでいた。
「…ポチャン…チャン」…それは確かに「マーチ」のリズムだった。

なんでなのかな?…「すくらっぷ」にもし「旬」があるならば、それは自分にとっては「冬」なんだ。
正確には晩秋から早春にかけて、毎日が冷え込むような季節が旬だと思う。
フロストフラワー・ポエトリー、雪のエアポート、虎落笛…まんまるフキノトウとか、すぐに思い出せるエピソードの多くは「冬」に関わっていたりして。
「12月の唯」も、そういう意味ではそうかもね。

「クラス全部のキャラを出そう!」ということで構想された、すくらっぷ・ブック。
たくさんのキャラたちが物語に出てきたけれど「シンパシーを感じる」キャラというと限られてくる。
自分の場合は「ノーミン」と「まさたか」…どちらもサブキャラ的な感じもあるけど、実は物語の主軸になるときもあるんだよね。
ノーミンはあの「暁着3時31分」の「三人旅」のキッカケとなる「失恋」の物語の主人公。
まさたかは「12月の唯」のみならず「1メートルの落下」で、親友のヒロを相手に、遠く離れた彼女への「思いのたけ」を話す。

自作「すくらっぷストーリーズ」で、彼らを主人公に据えての物語を描いたのは、彼らがとても「人間臭い」から。
彼らにはどこか、自分の中学時代の「影」を感じてしまう。
まさたかの「クラスの主役にはなれないけど、みんなと楽しくやっていきたい」という願いが。
ノーミンも、どこか「今どきの中学生」ではないけど、畑仕事に追われる毎日じゃなくて、学校生活を「エンジョイ」したいというところとか。
…開放的な感じがする転校生の女の子に憧れて、好きになってしまったことへの思いが。
そういうエピソードが展開していくには…小諸市という北国で、そういう思いが花咲いていくには、その季節はやはり冬が相応しいのじゃないかと思うのです。

先々月、短い時間ではありましたが、小諸を訪れました。
懐古園の麓を流れる「千曲川」…その「西浦ダム」を見に行こうと思い立ったからです。
実はこれまで、西浦ダムのそばまで行ったことはありませんでした。
特に理由はなく、ただ行程から外れたというだけのことです。
すくらっぷの中では何度か「河原」が出てきますが、降りる場所がイマイチわからなかったというのがあります。

僅かですが残雪もあり、冬の小諸はやはり寒いな、と実感しました。
河原に降りる場所の手前には、ノーミンが「フキノトウ」を摘みにきた(であろう)田圃がありました。
懐古園で騒ぐ晴ボンたちの声が届くには、流石に遠い場所ではありますが、そこからは懐古園の展望台の「傘」が確かに見えました。
風向きによってはあり得るかもね?と、暫し傘を仰ぎ見ている私でした。

もし「すくらっぷ・ブック」のファンの方で、一度も小諸にいらしたことがないという方…これからの季節が一番、作品世界には近いんじゃないかと思いますよ?。
早春の雪解雫も、樹氷となった落葉松林も、田圃の畔に咲くフキノトウの姿も、今の景色であり、これからの風景です。
…雪の小さな原っぱで話す、カラスみたいな二人の中学生の姿にも、きっとどこかで会えるはずです。
凍りつく道路に恐れをなし、今までに「厳冬の朝の小諸」というのだけは行ったことがない私ですけど、今年は勇気を出して「行ってみようかな?」って思ってます。

2017年12月18日 (月)

西浦ダムにて

「西浦ダム」の河原に行ってきました。

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「河原って、何?」とかって、すくらっぷ・ブックを見てない方は思うんでしょうね(^-^;。
しかも「ダムで河原」ですから、余計に混乱すること必至ですね。
しかし他に言いようがない。

ダムの下流側…西浦ダム自体、それほどに貯水量が多いダム湖じゃないみたいなんですが、千曲川のそばまで行くことができます。
現在は改修工事中のため、十分気を付けられたほうがいいとおもいます。
私が行ったときは、工事が休止中でしたので、入ることができましたが。

「すくらっぷ」では、おなじみの風景。
大きな岩がゴロゴロと転がっていて、写生などで使われている描写がありましたね。
現在(H29.12.18)の状況では、ダムの堤体の一部が無くなってしまっていて、以前はその上を渡り、向こう岸に行くことができたのですが
(「あの夏で待ってる」でも、海人が8ミリフィルムを回してました)
現在は出来ないようです。
手元に詳しい資料がないのでわかりませんが…「堰てい工事中」との看板を見かけましたので、一部がダムでなく堰になるのかな?とか思いますが…なにぶん無学なのでわかりません。
写真は撮りませんでしたが、何か魚道のようなものもあったような??。
完成してから80年ほどが経過しているようですね。
そうなると「建て替え」とか思いますが…どうなのでしょうか?。

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川面に立って見ると、キラキラと冬の日差しが反射してキレイでした。
このあたりの千曲川は、水深が全体的に浅いせいもありますが、大きな岩が川の中心部にまでゴロゴロとしています。
私も利根川の流れを見ながら育ってきた人間なので、こういった眺めはどこか安心感があります。
果たして「島崎藤村」が小諸で教師をしていたころも、千曲川の流れはこうだったのでしょうか?。
「千曲川のスケッチ」を流し見ると「中棚温泉」でのことが描かれています。
そこでの千曲川は、やはり流れが速く(多分、今よりも水深は深かったろうと思います)しかし今でも同じような風情も残ってはいて、柳の木と思しきものや、とても少ないのですが「砂浜」のような所もあります。
流石に現在は遊泳禁止なのでしょうけど…願わくば、改修されても「この場所」に日がな居ることが可能なような、そんな場所であり続けて欲しいなと思いました。

 

2017年9月21日 (木)

私はなぜに「すくらっぷ」を愛したか(後編)

嘘か誠か確かめる術もありませんけど…たがみ先生の「Twitter」の記事で
「小山田いくは、友達が一人もいなかった」
…というのを見ました。
正直なところ、これは「眉唾」で「いかな兄弟とはいえ、交友関係を完全に把握してるんだろか?」というのは疑問なところです。
流石に「それはないでしょ?」とは思いますし、思いたいところです。

しかし、私も一時期は「学友など一人もいない」という時期がありました。
それどころじゃなく「いじめ」に遭っていて、毎日悲惨だった時期もあります。
…でも、というか「だからこそ」友情を夢も見るし、夢見るからこそ、今(当時)の状態を変えられるなら!と希求したりもするわけです。

高校時代もそうでした。
私にはほとんど、友達がいなかったんですね。
今までは、地元のよしみということもあり、また、私の中学時代後半は、それまでの人生で一番「はっちゃけて」いた頃ですから、そのギャップにはさすがに参っていました。
そんな時、私は「すくらっぷ」に出会います。
1月の駅の売店で買ってもらった一冊の週刊漫画雑誌。
そこに掲載されていたのが「12月の唯」だったんです。

私はずっと、それこそ紙が黄色く変色してもなお、それを保管し続けました。
(実はいまだに手元にあるんですよ)
それほどの執念を「巻き起こす力」が、確かに「すくらっぷ」にはあったんです。
しかしそれが「いったい何だった」のか、その理由については長らくわからないままだったのです。

もしも…小山田先生に実際に「友達がいなかった」として。
そして「想像で友情物語を作り上げていた」として…果たしてそのことで「誰が」先生を非難するでしょうか?。
「嘘を書いたんだ!」と、そう糾弾するでしょうか?。
…私は「そういう人は、あまりいないんじゃないかな?」と思うんです。
ほとんどの方が「そうなのかもね?」と納得してしまうんじゃないか?。

…そうです。
実は「そこ」にこそ「すくらっぷ」の「秘密」がある。
「ぶるうピーター」もそうだし「ウッド・ノート」もそう。
「想像と、現実とのハイブリッド」が、小山田学園作品の「秘密」なんです!。

私が「12月の唯」を見たときに感じたのは「リアリティー」と「ファンタジー」でした。
学園物のラブコメを描くとき、通常はその二つは「融和」される形で描かれます。
「味が喧嘩しないように」何らかの形で「仕切り」を組みます。
そうしないと物語が「あまりに突飛すぎて」鼻白んでしまうからです。
「12月の唯」には「それ」が無かった。
全くもってリアルの中学時代と、そして「ラブ・ファンタジー」の要素を容器に入れて「さあどうぞ!」と出された感じです。
味は「初めから」融和しない…口の中で溶け合って初めて「ああ、美味しい」と改めて思うのです。

リアルのようで、実はリアルじゃない。
「ファンタジー」だからこそ、それが「リアル」じゃないことを認識すると同時に「こんな生活があればなぁ」と夢想もできる。
…現実に、こっ酷い目にあわされてきた私は「現実じゃないけど、現実のようなもの」を、飢えるように求めていたのです。
冬の駅の売店で買った一冊の雑誌は、私の人生さえも変えるほどに蠱惑的だったのです。
「どっぐ・いやあ」の最終話で、先生は漫画家としての一歩を踏み出したことを「実感」するわけですが…それはある意味、先生が迷いの末にたどり着いたであろう「行く先」の入り口だったでしょう。
もしかしたら、違う土地で、同じように「少年チャンピオン」を買っていたかもしれない、私と先生。
私は先生の作品で、どん底から引き上げられ、先生はそんなことはつゆ知らずとも、自分が歩むべき「道」を確立した。
「シンクロニシティ」という現象がありますが、私と先生、そして沢山の「読者」の方は、きっとその瞬間に立ち会い、その風に晒されてきたのだと思います。

過酷な現実に対して応えられるのは、過酷な今を生き抜いている人じゃありません。
それは「夢を売る人」なのです。
たとえそれが想像上のことであってもかまわない。
現実にそぐわないことであってもいい。
そして「それができるメディア」として「漫画」というものは優れているのです。
小山田いくという人は「それ」を行う上で、類稀な特質を持った人だった。
「すくらっぷ」は、その代表作とも言えるものであり、歴史上類を見ることのない「作品」だったのです。

私は今年で53歳になりました。
何だかあっという間とも思いますし、早いな、とも感じます。
その中の多くの時間を「すくらっぷ」とともに生きてきました。
そのことが、時にはリアルでの障害となったりした面もありますが…おそらく「スクラップに会わなければ」それ以上に悲惨な人生になっていたかもしれないとも思います。
実際、私は18歳の時に大病をし、10年近くの闘病生活を送り、そのことで体も心もズタズタになりそうでしたが…「すくらっぷ」の「仮想現実」がクッションとなって、精神の瓦解を防いでくれていたのだな、と、後になって気付きました。
包み込むように「ファンタジー」は優しかった。
そのことで私は救われたのです。

思えば、なんと大きな「運命の輪」でしょうか?。
これはもう「奇跡」といって差し支えないものかもしれません。
時に、すくらっぷと出会ったことは間違いだったんじゃないか?…これは時間の浪費なのじゃないか?と思うこともありましたけど…それはきっと「ただの杞憂」でしかなかったんですね。
私は「受け取れるものを、受け取った」だけでした。
「それ」はただ、とても大きなもので、受け取った時には全容が見えないものだったんですけど。
今はそれが見えるようになった…ということです。

先生が亡くなった後、小諸の先生の所縁の場所を訪ねて歩きました。
当時は気付かなかったんですが…今思い浮かべると、先生のことを話す方々の顔は、どこか困ったような、それでいて懐かしさを感じているような、そんな表情ばかりだったと思います。
先生の存在は、所縁の方々にも、とても深い「感傷」を残していたんじゃないかな?と思います。
…私もどこか、そんな表情をしているかな?と鏡を見ながら思ってみたりします。

私はなぜに「すくらっぷ」を愛したか(前編)

…長年抱えてきた「疑問」なんだけど

「どうして「すくらっぷ・ブック」だけ、自分の中で特別なんだろう?」

そう思い続けてきた。
思い続け、考えてきたんだけど、結局はわからないままで。
長い時間が経過した。

「ここ」でもいろいろと今まで書いてきた。
でも「確信」にまでは至らなかった。

それがようやく、形になりつつある。
小山田先生が亡くなってから気付くなんて、すごく間抜けだと思ったけど。
でも…先生が亡くなって、日本中から哀悼のコメントがネットに流れて、その中に
「自分と似通った経験」をした方が沢山いらしたことに驚いて…コメントに触れていく中で
「これは何らかの「理由」があるはずだ」と、再び考え始めたのですね。

考えの「切り口」になったのは「復刊ドットコム」での「すくらっぷ」の巻末に描かれていた、小山田先生の短編。
「どっぐ・いやあ」という題名の、先生の回顧録。
それと、先生が亡くなられた後、実弟の「たがみよしひさ」先生が出された「欠片の記憶」という、さがみ先生の「回顧録」のような短編でした。

この二作品には、共通な部分と「異質な部分」というものがあります。
小山田先生の「どっぐ…」は「明」の部分がピックアップされる形で描かれています。
そして、たがみ先生の「記憶…」は、それとは真逆で「田上家の負の部分」があからさまに描かれているのです。
兄弟の父上の飲酒でのDVや、肝臓の持病のことなどが赤裸々に描かれています。
コミック的に描かれていますので重くは感じられませんけど…これは当時の時代を考慮したとしても、かなり「黒歴史」と言わざるを得ないかと思います。

この二編を見て、私はこう位置づけをしてみました。
・過去を隠匿しての表現をした、小山田いく先生。
・過去を赤裸々に晒し、ありのままを語ろうとした、たがみ先生。
…もちろんこれは「ことの良し悪し」を比較しようということではなく、また「黒歴史を作品で晒すことの必要性」というものを考慮するならば、触れずとも良いものかもしれません。
しかし、たがみ先生が「事実」を晒してくれたおかげで、小山田先生が「描けなかったもの」が浮かび上がってくる、ということにもなった気がします。
(但し、例えば「衆楽苑」1巻の工員の話などは、セミフィクションともとれそうです)

世に「きょうだい漫画家」というのは、何組も存在します。
しかし「田上兄弟」のように、まるで「合わせ鏡」もしくは「車の両輪」のように、全く反対の動きを見せつつも、同調をし続けたのは、このきょうだいのみのような気がします。
「仲がいいのか悪いのか?」と、そう思われた方も、少なくはなかろうかと思います。
私もその中の一人です。

たがみ先生の「軽井沢シンドローム」の中で、一際悲劇を背負い込んでいるように描かれている「純生」というキャラがいます。
相方の「耕平」が、あまりのモテモテキャラなので、なおさらのこと悲劇が沁みますけど…その「純生」が「晴ボン」と「同体化」するようなコマが見受けられます。
これも、たがみ先生流の「オマージュ」かもしれませんが…読み進めていくと、その「純生」の身体から「晴ボン」らしきシルエットが「抜けて」行くように描かれたコマが出てきます。
…これは、私はある種の「兄からの決別」の意思表示なのかな?と見ました。
実際に、その後の物語から、耕平は純生と一定の距離を置き、あまり関わろうとしなくなります。
但し、それはあくまでも「手取り足取りしない」ということで、耕平が純生を捨てたということではありません。
扱いとしては、確かに酷いところもありますけど(汗)。

さて…真実がどうかはわかりませんが、わたしはこう、お二人のことを想像をしてみました。

・夢想家であり、ロマンティストである、小山田先生。
・現実派で、実践派である、たがみ先生。

…もちろん、互いが一目を置きあっていたことは、これは言うまでもないでしょう。
そして、生い立ちが二人の人生に大きく関わっていた、ということ。
それが作品に、余すことなく出ていたであろうということ。
…私が「すくらっぷ…」に惹かれていった「理由」は、実はそのまま「田上家の歴史」とつながっているということです。

(後半に続く)


2017年5月 6日 (土)

変わりゆく小諸

…久方ぶり(半年くらい)に小諸に出かけてみた。

佐久市で行われていた「佐久バルーンフェスティバル」の「ついで」という形ではあるけど。
…しかし、生憎熱気球のほうは天候不順で午後の競技は中止。
これはまあ、ある程度は想像していたのでいいけど「夜間係留」
(熱気球を地上におろした状態で、バーナーを点滅させる)
…が見られなかったのが惜しかった!。
まあ、正確には強風のためにバルーンが膨らませず、バーナーだけの形にはなったのだけど…これだと少し、ね?。
バルーンのほうは残念だったけど、その前に行った小諸のほうは、ちょっと驚かされた。
渋滞の影響で予定が押してしまい、昼食が遅くなってしまった。
「それならば市役所の駐車場に車を置いて、いつものお店(HARADAさん…そばもパスタも肉料理もある、リーズナブルなお店です)でランチにしよう」と、小諸市役所に向かいました。
市役所の駐車場は「2時間まで無料」(2017年5月4日現在)なので、ここに車を止めると、散策に便利なのです。
市役所は、もうまるで「昔の面影」が全く感じられないような、綺麗で近代的な建物に変貌していました。
市役所ばかりでなく、隣接する「市立図書館」や「郵便局」の建物も様変わりをし、最早私が初めて小諸を訪れた時の雰囲気は一掃されたかのようでした。
歩道は広がって、傍らに花壇、というか「庭園」が造られ、明るくて清潔な雰囲気に満ちています。
さすがに昔ほどに人の往来は無いのですが…積極的に観光客と、新住民を誘致しよう、という気概は十分に感じられました。
本気さ、というものを感じました。

Img_0849

周囲の建物も清潔感が増した気がします。
どことなくモノクロームだった街の雰囲気が、天然色へと移り変わっていく。
「レトロな街」という側面が減っていった一方で、爽やかな高原の街へと脱皮を行っているようです。
それで「ああ、そういうことなのかな?」と感づいたのです。
「レガシーを遺しつつ、全く新たな空間を創造しよう」
…というコンセプトに「すくらっぷ・ブック」は、ややそぐわないのか?と。
「まちおこし」というか、それ以上のリユニオン…再結合を図っていこう、というコンセプトには、すくらっぷの世界観は少しズレてしまっているのか?と思ったのです。
ただ私感ではあるけれど、再開発の「方向性」に、それは生きているのかな?と。
小諸というひとつの「かたち」「型」というものがあって、その限られた空間の中で展開される「日々」という名のドラマたち。
…これはまるで「すくらっぷ」の中で展開されてきたものと相似形ではないか?。
同じ方向のベクトルとして見ても良いのではないか?と思ったのです。
そうまるで…まあ、思い込みを大いに膨らませてみるなら…こういうことじゃないかと思うのですね。
『「坂口クマ」が「線引き」をして、イチノの会社がシステムを作って…晴ボンが「デザイン協力」をして、カナちゃんがインテリアデザインに参加して…』
…等々「あの時代」を生きてきた人達が一線として働いて、小諸という街を新たに立ち上げている、と。
もちろん、実際にはそれぞれ関わられてきた方々がいて、立ち上げたプロジェクトに違いはないのだけど…その仕事にすくらっぷの「精神」みたいなものを、私は感じてしまうのです。
駅前のアーケードが撤去された時の呆気なさ、空間の広さというものに、やや空虚さを感じていた私でしたが、今回目にした光景に「それ」はありませんでした。
むしろこれから展開していくであろう、小諸の街の「これから」が楽しみになってきたところです。

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