日記・コラム・つぶやき

2019年4月28日 (日)

Sに捧ぐ歌

誰かが吐いた戯言に

オマエはサイフを握りしめた

一体、オマエは誰なんだ?

 

ともに生きる!と歌にして

握りしめてた掌を

誰かの膝に乗せるよに

シッポ振るのは、何故なんだ?

 

変わったことが嫌なのか

変われぬ俺がバカなのか

囲みの中で餌を食む

チビけた犬で死にたかねえな!!

 

三度目の冬が来たぜ

アンタと俺の間には

混じることなく風が流れる

この風、どの風? 北の風

 

 

2019年4月15日 (月)

コンパクトカメラは消えゆくのか?

スマホを買い替えた。

最新式とは言えない型落ち品ではあるけど、個人的には十二分に満足してる。

 

今までは、いわゆる「安売りの携帯」を使っていた。

だから「カメラ性能」など酷いもので、最初から「メモ以外役立たない」という認識だった。

…しかしこれが「お!かなりスゴイことになってるぞ?」と再認識。

 

「iPhone」のカメラ性能がスゴイ、というのは情報としては知っていた。

だけど「所詮は携帯画質っしょ?」という思い込みがあり、小馬鹿にしていた。

それが今度購入したスマホで「大きく転換」させられる羽目になった。

 

まず「液晶が大きい!」ということ。

試しに「リコーCX3」と比較してみると、面積比で5割近く大きくなっている。

CX3は、コンデジの中でも高精細な液晶だから、私のような「老眼近視」でも、何とか見えるレベルだった。

しかし、これだけ大きくて高精細な液晶がスマホについてしまうと、立場が逆転してしまう。

ズバリ、見やすい。

しかも「画質」も、そこそこ大したものであり、下手なコンデジならば凌駕しているといっていいだろう。

小さなレンズと小さなセンサーの組み合わせなのに、大したものだ。

これはもう「A4引き延ばしに耐える画質」であり、作品作りでさえ使えるといってもいい。

 

最近「Androidタブレット」を持参して、撮影をしている人が多いのをよく見かけるようになった。

「何故スマホじゃないんだろうな?」と、非常に不思議に思っていたのだが…謎が解けた。

つまり「画面がよく見えるから」なのだ。

 

なるほど、これは「合理的」だ。

7インチの画面は大きいから、コンデジはおろか、スマホ以上に見やすい。

カメラ部分に指がかかりづらくて、失敗を防ぎやすい。

そのまま自動的にクラウドサービスにアップロードできるので、バックアップ対策も完璧だ。

再生画像確認も容易だし、もちろんのことSNSにアップしやすく、画像編集もその場でできる。

その場での確認が容易だから、みんなで撮影画像を見られるというのもある。

 

大きさはデメリットだが、最近はスリム化が進んでいるので、案外と軽い。

持ち運びは小さいショルダーで済むし、他のモノたちと一緒に入れておけるのもいい。

…なんというか「パラダイムシフト」と、これは言ってもいいのではないか?と思った。

 

これでは確かに、コンデジが売れなくなる。

ボディサイズを考えれば、カメラは限度が自ずとできるし、それに応じてモニターも小型にならざるを得ない。

ペッタンコ、ペランペランのタブレット端末に、容積の面で勝てる要素は何もない。

あとはもう性能に頼るしか無いので、残された活路はもう「高倍率化」とか、その程度しかないというわけだ。

 

ただそれでも、マニアから言えば「EVFがあるではないか?」というのがある。

老眼近視という、カメラマンにとって「極めて不利」な条件で最高のパフォーマンスが出せるのは、唯一「EVF」だけなのだ。

コンデジのEVF化というか、EVF主体の画像確認に重きを置いたコンデジだけは、生き残っていく気がする。

 

 

 

 

2019年1月 6日 (日)

カメラの森に迷わされ

またまたまたまたっ!!!!…カメラを買い替えてしまいました。
もう病気だな…。

買い替えごとに「言い訳」ってやつが出るのが、これまた悪いところで。
今回の「言い訳」ってのは…「モニターが見えないっ!」というところ。
まあ、今回のは少しは現実味があるんですけどね。

私は強度の近眼・乱視持ち。
オマケにシッカリと寄る年波での「老眼」も併せ持つ。
デジカメのモニターなんて、ふつうは「3インチ」程度しかないわけで、考えてもみればサービスプリントの「L版」より、ずっとずっと小さかったりするんですよね。
スマホの画面よりも一回り小さいんです。

近視を矯正せにゃならんので(そうじゃないと運転ができない)眼鏡をかけてます。
裸眼なら、ものすごく(数センチくらい)近づけば、デジカメのモニターも見えます。
しかし眼鏡を「着けたり外したり」というのは、なるべく避けたい。
撮影中にこんなことしてたら、まず撮影なんて無理です。
でも、眼鏡をつけていると、近くによると「ボケる」のです。
ピントが合わない。
これが老眼の害なのです。
眼鏡着用時は、3~40センチ離れないと画面がわからない。
ほとんど「切手」を見ているくらいの大きさです。
細かいディテールなんて、判別できるはずがない。

コンデジとかのスナップなら、まあいいんです。
厳密に構図を決めるもんじゃないし。
再生確認だって、通常はその場じゃしませんしね。
むかしだって「M型ライカ」はレンジファインダーだったし、構図だって一眼レフほど正確じゃなかったけど、傑作は生まれても来ましたしね。

だけど「花」の撮影とかはそうはいかないんです。
ピントは厳密、光の回り具合もわからないとダメ、被写界深度も確認できないと不便…こうなると、とっても不便な思いをして、モニターのみのミラーレス機での撮影なんて出来ないです。
出来る人は出来るんだけど、私には無理。

…で「デジタル一眼レフ」買っちゃいました!。
デジイチは、これで…えーと「8台目」かな???。
なんだかなぁ、って気もしますけど。

すごくお得なヤツで、もちろん中古です。
機能もすごくシンプルで、画素数とかも今のに比べるべくも無いほど少なくて。
でも、PCのディスプレーで画像を確認してみると、案外と細かいところもシッカリ出ていて、文句は特にありませんね。
ミラーレスに比べると、とてもゴツくて重たいですが、これは仕方ない。
それに、年々どういうわけなのか、デジカメの画像はハイコントラストでハイシャープ傾向になっていますので、それが嫌だというのもあります。
これまで使っていたのは、色のコントラストと彩度が高すぎて、細かいディテールが飛んでしまってたんですね。
こういうのを「色の飽和」って言うんですけど、それがあまりに酷かった。
紅葉なんてもう惨憺たるというか…ああなんでだろ?と画像を見て溜息ついてたくらいでした。
センサーがCCDからCMOSに変わった、というのが主な理由なんでしょうけど…私は別に感度アップが欲しいわけじゃないし、そこまで運動会やらお遊戯会やらに媚びらなくてもいいんじゃないか?とか、言いたくなっちゃいますね。
まあ、ほとんどのユーザーさんは、そういうのが欲しいのだというのはわかってるんですけどね。


レンズ始め、アクセサリーが安いメーカーだったというのも、買い替えの理由です。
市場にまだ豊富にあるというのも。
だから願わくば(!)暫くは、この機体で撮っていけたらなぁ、と思います。
老眼はもう治りませんから、これからはデジイチと、スナップ用のコンデジという使い分けになるのでしょう。
もういい加減に「カメラの森」から抜け出したい、煩悩だらけのワタシなのです。

2019年1月 1日 (火)

年初嘆感

元日の正午のニュースが「暴走自動車事件」から始まるとは。

どうやら新元号が始まる今年、あまり穏やかな一年になるとは思えない。
こういった凶悪事件が起きる背景には、必ず「未遂」もしくは「未必」を心に抱えている人間の存在がある。
実行をしていないだけ、実行されていないだけなのだ。

去年の渋谷でのハロウィンのバカ騒ぎもそうだった。
今年もどうやら、規制を無視してまで渋谷を歩きたい馬鹿が往来したらしい。
こういったことが起きた後に「マナーを守って」と宣う方がいるが、本質を見誤りすぎている。
彼らの頭の中には「マナー」などというものはない。
「公共意識」というものが、ちゃんと育っていないのだから。
その代わりに存在しているのが「アイツはよくて、なぜ自分は?」という「比較」だ。
幼い頃から自分の「立地点」を、他人との比較によって他者に「位置づけられてきた」結果が、今のバカ餓鬼どもを生み出している。

そうだ「餓鬼」なのだ。
「ガキ」じゃなくて「餓鬼」。
どれだけ食べても満腹感が得られない、地獄の使い鬼たち。
彼らを作り出したこの社会こそ、厳罰を受けるべきなのかもしれない。


嗚呼、目出度くない、目出度くない!。
今年もまた、一休宗純の歌を飾ることにしよう。

「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
一休宗純

2018年10月17日 (水)

地方アイドルと、その自殺について思うこと

最近「地方アイドルの方の自殺」を巡っての話が出てきているので、少し見解を書いておきたい。

私は何よりもこういった場合に嫌なのは
「死んで花実が咲くものか」とか「死んだら負けだ」とか、を未だに語る人がいるということ。
ある有名な芸人さんが、これに類したことをSNS上で発言しているけれど…もう少し思慮が欲しいな、というのが正直なところ。

このブログで何度も何度も繰り返し書いているけれど「岡田有希子さん」のケースを、もう一度思い出してほしい。
彼女の自殺の原因は、未だ持ってわからない。
…いや、そもそもだが
「自殺した人の理由なんて、他人には絶対にわからない」
…ことに違いないのだ。
遺書はあるらしいけど、遺書と本心が異なる可能性だってある。
それは決して珍しいことじゃないと思う。

私は「生きるための必要な条件」の一つとして
「地に足がちゃんとついていること」というのが大事だと思っている。
これは仕事が円滑であるとか、裕福であるとかということではない。
もしそうであるならば、ユッコは死ななかったはずだ。
彼女が死んでしまったのは、経済的な理由なのではなく、また「自ら志した道」を閉ざされたということでもない。

もう、事件を知らない人もいるだろうから少し解説しておくが…彼女は当時、非常に人気が高いアイドルだったことは言うまでもない。
同じ事務所から「これから売り出していこう」としたアイドル(実際にかなり売れた方だった)の存在はあったが、それによって自らの「場所」が消えてなくなるということは無かったはずだ。
確かに、彼女のような、ある意味「癖のある」タイプのアイドルを長く援助していくことは難しかろうと思うが…それでも「やれるだけやる」ということを出来ないほどに、愚かな人ではなかったと思う。
売り方にもよるけれど、彼女はちゃんと「着地点」を自ら見つけ出せただろう才女であり、非常に努力家でもあった。
それも自発的にそれが出来た、という意味で、彼女はある意味、アイドルという垣根を越えていけた人でもあったのだ。
実際に彼女が描いた絵画とかを見ていただくなり(特にレッスンは受けていないのですよ?)、デビュー時から最後に至るまでの歌声の変化を感じていただけば、彼女が努力で自分の道を切り開こうとしていたのは瞭然だと思うのです。
…彼女は「誰に言われるまでもなく、自己努力を欠かさない人」でした。

才能として、才覚として…彼女はいつでも「オンリー・ワン」な人でした。
ただしそれが必ずしも「大人の世界」で認められるか?となると、話は俄然変わってきます。
大人の世界…この場合は芸能の世界では「事務所の方針」とか意向とかいうものが、本人の意思を飛び越えて存在します。
今でこそ、グループアイドルの場合は「それ」に関しては寛容であり、大人と子供たち(アイドル本人)が相互の意見を戦わせ、話が進んでいくようですが…当時は必ずしもそうではなかったようです。
「本人の感性」というものが、必ずしも活動に合致していくとは限らない…彼女の在籍していた事務所はそれでも、アイドルに関しては寛容だったとは聞いていますが…大人たちと彼女の間に入った「溝」というものは、大人たちが思う以上に大きかったのではないか?と、想像ができます。

彼女はたぶん…一人きりで戦ってきたのだと思うのです。
そしてその理由や、それに伴う悩みというものは、周囲の「大人たち」には理解が難しい、彼女独自の感性からのものだったのではないかと思います。
彼女自身が持っていた、アイドルとしての理想。
そのためにどう行動すべきか?ということを、彼女は自らの内側で育て続け、そしてそれを具体的に表現した時、ファンの方の温かい支持に包まれていた。
それが「成功体験」として息づき、彼女を歩ませていたのではないかと思うのです。

しかし「大人たち」に見えてくるのは、彼女が見ていた世界とは別のものです。
噛み合わない感情は、彼女に大きなフラストレーションを与えたでしょう。
そして…多分ですけど、大人たちは「大人の手段」を彼女に使ったはずです。
事務所の意向として…という、当然かつ束縛的な手段を彼女に強いた。
もちろん「そういうのが仕事でしょ?」というのは簡単です…が、彼女は「自分で自分を動かす術」と、その能力を常人以上に発動可能な「才女」であることを、周囲は欠落させていたのではないか。
…才女だからこそ、プライドだって高いのです。
そこに「プライドなんていらんだろ?」となれば…それは才能があるが脆弱でもあっただろう彼女のような人にとっては「死刑宣告」のように聞こえたのではないでしょうか?。

後輩の出現が、影ながら影響を与えていたというのもあり得る話です。
後輩の彼女は快活なキャラとして売られ、世間もそのように扱っても来ました。
彼女亡き後、その傾向は右肩上がりに高まっていったようなイメージがあります。
…彼女…岡田有希子亡き後、事件を忘れようともがくかのように。


事件の直前、彼女は「ひとりぐらし」を希望していたようです。
そして、物件を探している最中の仮住まいのマンションで、彼女は「ガス自殺」を企てています。
リストカットも行っていて、その傷は軽微でしたが、マンションの住民からの通報で消防なども来て大きな騒ぎになったそうです。
そしてその後…一旦事務所のビルに社員の方に付き添われていき、彼女からほんの少し目が離れたその隙に、彼女はビルの屋上へと駆け出し、障害物を乗り越えながら、身を投げたのです。
言うまでもなく、即死でした。

…いろいろな説があります。
原因が囁かれています。
私のこの文も、実際にはただの推測でしかない。

…しかし「もし自分が彼女だったなら」と考えるとき、自分が世話になっている事務所であると同時に「自分を否定していると感じている」場所に連れてこられたなら、どう思えるでしょうか?。
恥ずかしい、顔向けができない、と感じるとともに「もうダメだ」「もう何もできないんだ」とも思うでしょう。
たくさんの人たちの顔が脳裏を巡るでしょう。
ファンの姿もあれば、家族の姿、知己の人の姿もあるでしょう。
まるで走馬灯のように、それがぐるぐると回転し、止まらなくなるでしょう。

家族の反対を押し切って、納得させるための努力をし、そして乗り越えてきた。
その「結果」が、こうして恥ずかしい姿を晒すことになってしまうとは。
「強い情熱」は、それが破れたときに「強い破壊願望」になるものです。
「自殺」というのは、死ぬことで一切を無にする、リセットするという行為であり、願望です。
…彼女は元々身体機能も優れていた人ですが、その時には「誰も追いつけなかった」くらいの速度で、階段を駆け上がっているのです。
そして、屋上には当然柵もありましたし、また、大きな文字の形をしたディスプレイもあったそうですが、その「隙間」を「よじるように」潜り抜け、そして身を投げている。
私はそこに「強すぎる破壊衝動」を見ます。
彼女の自己破壊願望は、本当に究極に高まっていたのだと思うのです。


…彼女が「好きなように生きていけば」こういったことは無かったのではないかと思います。
地に足をつけて生きていくということは、自分が願うもの、進むべきと思えるものを「見つけ出していく作業」です。
一度や二度失敗したとしても、まるで構わない。
だって「いつだって途中」なのだから、失敗はその過程でのことなのだから、それでいいのです。

負けたっていい。
上手くいかなかった、ダメだった、としても、泣いて忘れられるのであればそれがいいんです。

…今回の「事件」では、大人たちの「勝手」が浮き彫りになっていると思います。
16歳の「子供」なのです…アイドルとして自立する、というような「夢」の世界を追っているだけの。
この先いくらでも何かを求めて、そして挫折をして、泣くこともあるだろう…そういう若い「芽」を摘んだのは、大人たちの穢れた手なのです!。

経験を積んだ大人であるからこそ、自らの苦い体験をもち、若い人の道を整備して歩くのが大人の務めじゃないですか?。
あれはどうだ、これならどうだ?と、進路を勝手に決め、自身や会社の「保身」を優先して行動するのが、果たして大人の生きる道ですか!?。
…そんな「みっともない」生き方を、場所を、若い人に曝していいのですか?。


勝った負けたじゃないんです。
子供にはいつだって「中間」を提供してあげてください。
迷う時間をあげてください。
そのうちに汚らしくなっていく大人になってしまう前にね。

2018年9月 4日 (火)

シンカとカイキ

CASIO、といえば、真っ先に何が頭に浮かぶだろうか?。
「時計」…そう「Gショック」という人が多いのではないだろうか?。
私も以前使っていましたね。

それで他には?というと…団栗の背比べ。
その中でチョットだけ図抜けているのが「デジタルカメラ」だったのではないだろうか?。
「エクシリム」などの、特徴ある製品を世に送り出してきたが…残念なことに今年「生産を終了」ということに相成ってしまった。
非常に残念なことだ。

実は「CASIOのデジカメ」というものを、私は一度も今まで求めたことがなかった。
国内メーカーの製品はほぼ、全メーカーを使用してきたと思うのだが…なぜかCASIOだけが抜けていた。
理由は…自分の勝手な思い込みであり、CANONなどの「カメラメーカー」と比べれば「一歩劣っているのではないか?」という先入観があったからに他ならない。

例えば「リコー」などは、フイルム時代からカメラは作っていたし、一眼レフは私も相当買い込んだりもした。
コンデジも優れていて「CXシリーズ」などのコンデジは、保守的ファン層もいる。
「ミノルタ」は「ソニー」と合併して、カメラは作らなくなってしまったが、やはり「αシリーズ」として未だに息づいている。

CASIOはそういう意味で「独立独歩」のメーカーだったと思う。
光学屋ではなく「電気屋」がカメラを作るのだから、はて「ちゃんとした写真に成るのか?」という疑問は、つい最近に至るまで消えることは無かった。

しかし「生産中止となるならば使ってみようか?」という気持ちがあったところに、あるリサイクル店で「ジャンク」を見つけ、買い求めてしまった。
そのカメラ(ZR20)には「HDR機能」というものがついていた。
私はこの「HDR」(高速連写で露出を変えたコマを数枚撮影し、逆光などを補正する技術)というものにも懐疑的で
「あんな化け物じみた世界を撮って楽しいか?」などと思っていた。
HDRには確かに、そういった表現法もあるのだけど…実は
「より肉眼で見た世界に近い画像」を得るためにこそ、HDRというものはある」
…ということを、このカメラは教えてくれたのだった。

デジタルカメラだから、画像についても各メーカーの「こだわり」というものがある。
特にその「全体的な色合い」というものには特徴がある。
CASIOのソレは「印刷媒体などで見ると、妙に誇張された色」に見え、多分そのせいだろう、カメラマニアにはあまり喜ばれなかった気がする。
…しかし実際に購入してみると、確かに誇張はされてはいるが「不快ではない」のだ。
むしろ心地よいとさえ言ってもいい。
「自然に近い色」ではなく「感性に近い色」であり、いわゆる「記憶色」で構成されているのだ。

これは新たな発見だった。
撮った画像をレタッチするたびに感じていた「どこか合わない」という疑問。
この花の色はこんなんじゃない、この空の色はもっと強烈だったはず…という疑問がある一方で「いやしかし、そうなればそれは写真ではないんじゃないか?」という問いが、もくもくと浮かんできてしまう。

…私は以前、ほとんどの写真を「スライドフィルム」で撮っていたことがある。
ポジフィルムは、ネガフィルムより「ラチチュード」が狭い。
高コントラストに撮れるのだが、一方で全体を広く見せるような写真の場合は、それが邪魔にもなる。
プリントなどすれば、よりコントラストは強調されるが「ダイナミックでいいな」というのが、当時の私の感性だった。
まあ、若さゆえ、というところなのかもしれないなと思う。

…年を食って、激しいものが嫌になってきた。
落差が大きいことが苦痛になってきた。
それは写真でも同じで「いや、もっと普通に撮れないんだろうか?」という要望が芯から滲んでくる。
激しいコントラストの世界はもう飽きたし、影日向無く、豊かな光に包まれた世界が欲しいと思うようになる。
人生でも何でも、もう落差には飽き飽きなのだ。

HDRという技術は、シャドウを持ち上げ、ハイライトを抑えてくれる。
まるで観光ポスターのように、豊かな世界を提供してくれるのだ。
「これが自分が欲しかった画像だ!」と、ZRを使ってみてそう思った。
記憶色の色合いと、HDRのハイダイナミックレンジの世界。
それが合わさった時、昔撮っていたネガフィルムプリントの世界が蘇ってくる。
思えば長いことポジフィルムの世界に染まってきた自分だったが、それが「不必要」となった今、実は欲しい画像こそは「ネガプリント」にあり、豊かで多くの情報を内包している画像だということに気づいたのだ。

技術が進んだことで、昔に回帰することができるなんて、不思議なものだと思う。
なんとなく写真に疲れていた私だったけど、またもう少しは撮影が続けられそうな気がする。

2018年8月15日 (水)

終戦記念日に寄せて(We Didn't Start the Fire)

ビリー・ジョエルのヒット曲「ハートにファイア」(We Didn't Start the Fire)

邦題としては随分と適当なものがあてられている。
どっかのコーヒーの宣伝みたいだ(苦笑)。
しかし原題の「We Didn't Start the Fire」からもわかるように、この歌は単なるラブソングなんかじゃない。
1949年から1980年代までの、その年における大きな出来事がチョイスされ、並べられている。

詞だけ見ると、近代史の年表みたいだ。
…だが、
「火をつけたのは、俺たちじゃないんだぜ」そして「燃え立たせたのは俺たちだけど、それに抗おうともしてるんだ」という相反する言葉が何度も繰り返されることで、それがただの「歴史の授業の時間」ではない、ということが理解る。

今日は「終戦記念日」だ。

…過去の出来事に対して、いつも必要なことがある。
それは「事実を正確に判断すること」だ。
なまじ浮かれてはいけない。
舞い上がってもいけない。
事実は正確に…そして、その反省を後世に伝えていかねばいけないのだ。

ただ、ひたすら繰り返す。
「祈念」というのは、そういうものだ。
何万遍も読経を行うように、ただひたすら声にし、祈ることだ。

戦争とは、人間の業なのかもしれない。
しかしだからといって、過去の反省ができないほど、愚かな存在でもあるまい。
「反省」というのは、文字通り「省みること」だから、その時には「自欲」というものは一切捨てねばならない。
それがたとえ、戦争で若い命を散らした人への「思慕」であったにせよ、その「行為」に対して「欲」を持ってはいけない。
浪漫的に流されてはいけない、情を差し挿んではいけないのだ。

特攻、という、凡そ勝ち目のない戦を、若い命に強いた事実を、忘れてはいけない。
もし、あの時代に「冷静さ」というものが機能しえたなら、そのことでどれだけの人命が救えたかということを考えるならば、その「非道」を賛美出来はしないはずだ。
原子爆弾によって瞬時に消えた命は、ごく少数の「誰か」の手によってなされたという事実を忘れてはいけない。
数万人以上の慟哭を受け止めるのには、その「誰か」の存在はあまりに小さすぎる。

忘れてはいけない。

「始まりの火」を着けたのは、ごく一部の人間たちでしかない。
それを煽り、消さぬようにすることで大きくしたのは、しかし「私たち」だったのではないか。
そして「そのこと」を無かったかのように誤魔化しながら、そして生涯を終えていくのも、かくあらん「私たち」ではないか、と。

今も火は消えてはいない。

2018年8月 8日 (水)

時代が去った日

昨日8月7日は「渥美清さんが亡くなられた」という報道が初めて流された日だったようだ。

自動的に記憶を辿り「その時」のことを思い出す。
不思議なことに「その時」は未だに極めて鮮明で、事細かに思い出せることが多くある。

その日、私は長野県にドライブに出かけていた。
愛車だった白色のニッサンで、ラジオをかけながら碓氷峠の新道(バイパス)を下っている最中だった。
唐突に渥美さんの訃報が流れ、車内で私は「えっ!?」と声を上げていた。
…暮れかかろうとしていた空は夕焼けに赤く染まっていた。

殊更に「男はつらいよ」が好きであったわけじゃない。
少なくとも当時はそうだった。
だが不思議なことに、その時心が大きく揺れ、暫くの間は頭の中は「そのこと」でいっぱいだった。
現在でも、その瞬間が思い出せるということは、それだけ記憶に鮮烈だったということだろう。

多分、私は、多くの人がそうであったように「渥美清=寅さん」ということを疑問なく信じていたと思う。
ほとんど私生活を晒すことが無かったこともあり、まるで「スクリーンの中にしか存在しない人」のように思えてしまっていたのだろうと思う。
だからこそ「死」というものを現実的に受け止めるのに時間がかかった。
あの時私は「渥美清が死んだ」とは思わず「寅さんが死んだ」と、そう認識をしていた。
フーテンの寅さんが死んだ、と。

人が死んでしまうことは、これは避けることができないという意味で現実そのものだ。
しかし「架空の人」が死んでしまうということは、物語の上でしかあり得ず、それゆえに「心の置き場」というものを見つけることができなかった。

「寅さんが死んだよ」という一言。
それは「これ以上物語が綴られない」という意味だ。
一つの世界が終るということだ。

夕焼けの中、私は一人の男の死とともに「ラグナロク」を見た。
…あの日はこんな「夏の日」であったのか?と、今思う。

2018年7月28日 (土)

埋もれていた「モノ」たち

過去、私はとある社会運動に「参加」していたことがある。
お世辞にも大きな団体ではなくて、小さな団体であり、かつ、極めて平和的というか、先鋭的では「無い」団体だったが。
その中で「差別反対」などとも口にしていたものだけど…正直なところその当時、私は「差別」というものを身近に感じていたことはなかった。

しかし昨今、一部の政治家たちがSNSなどを通じて出すコメントには、あからさまな「差別感」が浮かびだしている。
大国の大統領から、我が国の政治家連中まで、多くの人間が「差別的な言動」を展開している。
私が青春時代に通過してきたものと、それはまるで異なるものだ。

「私たち」は、いわゆる「社会的弱者」と「共闘」をこころみてきた。
まあ、共闘と言ってもそれもまた強力なものじゃなく、いわゆる「街角の声」程度のものだった。
しかしそれはあくまでも「弱者とともに」という意識であったから、基本は「手を差し伸べようとすること」であり、破壊というものを理念とするような部分とは一線を画すものだったと思う。
「それが良かった」というか「それで良かった」のだ。
時代も、私の嗜好にしても、そういう世界がしっくりと来た。

現在を鑑みてみると、それがまるで「昔語り」のように、あまりの「変貌」に驚嘆するしか無くなってしまう。
まるで浦島太郎だ。
そしてそういった「他者への攻撃願望」や「あからさまな差別感」というものが、一見おとなしそうな日本人の中に色濃く存在していたことに対し、絶望的な気分になる。

一介の政治家が「生産性」というものを主眼として、同性愛者や未婚の人たちを詰る。
あまりに滑稽で、あまりに理不尽なその思想性に対して、最早馬鹿らしさを通り過ぎて、情けなさしか感じられなくなる。
昔、私が感じていた「豊かなり、日本」という感想は、あれは幻であったのか?。
ただ単に、経済的な向上だけをもって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を謳っていただけなのか?。
日本人の根幹にある、おどろおどろしい「澱」のようなモノが、皮肉にもそれに平伏して生きる人の手によって「日の目」を浴びようとしているのだ。
なんと、愚かな時代だろうか?。

「ここ」を越えていかない限り、日本という国は、世界から真に認められることはないだろうと思う。
件の国会議員の発言は、おそらくは世界に発信もされていて、どこかの国で、どこかの国民がそれを見て苦笑ったり、怒ったり、呆れたりしているのだと思う。
そして「日本という国は、こんな国だったのか?」と、認識を新たにしてしまっているのだろう。
恥ずかしくも情けない話だ。

2018年7月22日 (日)

転換期

西日本で大豪雨による影響で、200人以上の犠牲者が出た。
毎年このような「大災害」が起きるということは、ある意味尋常なことではない。
「自然のことなのだから」というには、我々日本人は過去より自然災害に対しての策を講じてきたのであるから、今更「自然だから」では、些か情けないというか、先人に対して恥ずかしく思える。
近年稀に見る異常事態だからというのは、理由にはならないんじゃないだろうか?。
…というか、その裏に「自惚れ」の気持ちは無いのだろうか?。
もっともっと、自然災害に対しては向き合っていかなきゃいけないんじゃないだろうか?。
目を逸らしてはいけないんだ。

日本人は過去より「川の流れ」と戦ってきた。
これは世界中探しても、ここまで歴史が深く、また、近代的手法を用い、人工的に「それ」を行ってきたということで特質が高いかと思う。
エジプトで「アスワン・ハイ・ダム」が作られたのは、1970年代であるし、ダムを使っての治水が行われる前は、ナイル川の氾濫に対して、人は無力だった。
太古の「王家の時代」には「自然に沿う」ことを重視し、ナイルの氾濫期には農作をせず、公共事業としてのピラミッドづくりを行うことで、飢えを防いでいたということがある。

「川に真正面から立ち向かう」ということを、日本人は厭わなかった。
いや、ある意味「そうしなければ飢えて死ぬ」のだから、そうせざるを得なかったともいえる。
私の地元である群馬県にも、数々の治水や利水の歴史があり、中には「由来が明確でないくらいに古い遺跡」である堀(女堀)というものも一部存在している。

前橋城(厩橋城)なども「関東の華」などと言われたような場所であったが、利根川の流れがあまりにも急流であったため、治水工事を何度も行っている。
結果的には十分に流れを御せなかったようで、一時は城主不在という憂き目にあった場所ではあったが、現在でもその痕跡は十分に見て取れる。
「日本の川」というものは、その特性としての「急流・蛇行・大水」というものを、ほとんどの土地で有しているから、その流れを制御するのは並ハンカなものではない。


しかし、その川の流れに打ち勝つため、日本人は弛まぬ努力をしてきた。
今回の西日本の大雨でも「ダムの放流の可否について」が論争の的になりそうだが、ここで大事なのは
「ダムをいかに使っていくか」であり、問題の本質を「ダムの存在の可否」にすり替えてしまってはいけない。

現在の山地の状況を鑑みるならば、もしダムが無くなってしまえば、それこそ大変な事態が誘発されるのは間違いない。
植林事業は、今の現況を見越して行われてきたものではないから、もしダムが無くなってしまうならば「植樹林」の属性としての「地表を流れる表面水」の受け止め先が無くなってしまうことになる。
ヒノキも杉も針葉樹林であるから、地面の表面の土の露出度は多く、雨が降れば水は留まることなく地表を流れ落ちて行ってしまう。
植林は雑木林と違って、密度が高く植えられていることに加え、根が広範囲に広がっていくことが妨げられている。
なので、大水が一度降ってしまうと、地表の水の流れとともに、表面の土なども流れ落ちてしまい、乾燥などでひび割れた場所から水が入ってしまう。
結果、土砂崩れなどが起きてしまうとともに、大量の土砂と木が、川を流れ降りて行ってしまうという繋がる。
それが橋などを損壊させ、また、流れの曲部などに滞積する形で、堤防の越流を生む。
そしてやがては堤防が破壊されて、大災害へと繋がってしまうのだ。

ダムだけの問題ではないのだ。
治山の問題でもあり、林業・植林の問題でもある。
確かに、旧態依然とした公共事業としてのダム建設とか、ダムを造ることでの山地の住居地への転換とか、そういった問題が今回の西日本豪雨ではあからさまになってしまった。
しかしかといって、それらが必要なくなったというわけではないし、問題点をキチンと洗い出しつつ、治山・治水に対して、それを後退させる必要はない。


時代は確かに転換期を迎えていると感じる。
この異常な高温についてもそうだ。
自然の形を大きく変えてしまうことはできない。
赤城山やら榛名山やらをまるきり「削り取って」熱波を新潟まで流すとか、そんなことはできるはずもない。
根源的なものは、変えることはできないからこそ、出来る範囲での変革は行っていくべきだろう。

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